2013年5月21日火曜日

Jose Luis Calva Zepeda

Serial Killerの紹介のコーナーです。第2回目の今回は、
Jose Luis Calva Zepeda(ホセ・ルイス・カルヴァ)です。

彼は、メキシコのシリアルキラーですが人肉嗜食 CANNIBALISMの容疑者でもあります。
Jose Luis Calva Zepedaは1969年にメキシコシティーで生まれました。

父親は2歳の時に死亡し、母親は男を自宅によく連れ込んでおり、彼はその男を「パパ」と呼ぶよう教育されていたという話です。

彼は、16歳の時、兄の友人にレイプされました。
1996年に女性と出会い結婚するも後に離婚し、
元妻はアメリカへ子供と共に引っ越したらしいです。
その頃から彼は、重度のうつ病を患ったとされています。


とにかく彼は、自惚れが強い男だった。
自ら詩人と名乗り、街頭で自作の詩集を売り歩いていた彼は、
他にも小説家、脚本家、記者、俳優、TV司会者などと名乗り、頻繁に女性を口説いていたという。

2007年10月6日、アレハンドラ・ガレアナ(30)の失踪届が両親により警察に提出された。
彼女は2児のシングルマザーで、薬局に店員として勤務していた。

そして、彼女の新しい恋人が自称詩人のホセ・ルイス・カルヴァだった。
2日後の10月8日、ホセ・ルイス・カルヴァの自宅を捜索した捜査官たちは仰天した。

クローゼットの中に頭や手足を切断され、肉を抉り取られた女性の胴体が収容されていたのだ。
冷蔵庫の中にも人肉と思しきものがある。

また、フライパンの上にはレモン汁を搾られた人肉のステーキが乗っていた。
ホセ・ルイス・カルヴァは、彼女を食していました。

逃亡を企ててベランダから飛び降りたが、足を折って病院に収容されてしまいます。
彼の部屋には羊たちの沈黙で食人鬼ハンニバル・レクター博士の写真が飾られていました。

また、彼は、食人の本能、又は12日(Instintos Canlbales o 12 dias)という小説を執筆中だったと言われています。人間を食べることに強迫観念を抱いているように思われたらしいです。

ホセ・ルイス・カルヴァは、この他にもベロニカ・マルティネス・カサルビアス(31)の殺害を疑われていた。
2004年にバラバラになって発見された彼女は、やはりシングルマザーで、
薬局の店員だった様です。

法廷において、ホセ・ルイス・カルヴァは、殺害自体は認めたが、食べたことは否定しました。
遺体を解体したのは、野良犬の餌にして処理するためだと主張したのです。

しかし、そうであるならば、何で調理してレモン汁を搾ったのか? 
己れが喰うためではなかったのか?

かくして、2件の殺人容疑で有罪になったホセ・ルイス・カルヴァには禁固84年の刑が云い渡されました。彼は他にも6件の殺人への関与が疑われていますが真相は闇の中です。

2007年12月11日、ホセ・ルイス・カルヴァは独房でベルトで首を吊って自殺してしまいました。
遺書はなかったらしいです。12月11日6時頃の出来事でした。当年38歳でした。

もし、刑務所で今回の事件の自伝を書いていれば、
作家デビューが出来たのかも知れないですね。

今回の容疑者は、人肉嗜食 CANNIBALISMと普通では考えられない犯人像と犯罪の処理をする、タイプの殺人犯ですね。このCANNIBALISMは、また、後に詳しく特集をしたいと思います。

2013年5月10日金曜日

公民権運動 (American Civil Rights Movement)

2013年のGWは朝からヒストリーチャンネルで特集放送してい。
6時間の公民権運動の番組を観ました。

本当に、悲惨な映像と説明で正直言って気持ちが落ち込む内容でしたね。
当時のアメリカの人種差別の背景には悲惨で屈辱的な黒人社会の現実が映し出されていました。

先ず、公民権運動(American Civil Rights Movement)とは、1950年代から1960年代にかけてアメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動であります。

1776年にイギリス本国から独立したアメリカ合衆国では、かつての宗主国であるイギリスや、
アイルランド、ドイツなどのヨーロッパ諸国から移民として渡って来た白人が住民の多数を占め、
彼らに奉仕する奴隷としてアフリカ大陸などから強制的に連れてこられていた黒人をはじめとした有色人種への差別が合法とされてた。

北アメリカにおける奴隷制度の導入は、1607年にイギリス人がバージニア植民地に初めて入植した直後に始められ、1776年に独立した後もそのまま続いた。

奴隷制度のもと、17世紀から19世紀にかけて、およそ1,200万人のアフリカ人がアメリカ大陸に強制的に連れて行かれ,このうち、645,000人が現在のアメリカ合衆国に連れて行かれた。1860年のアメリカ合衆国の国勢調査では、奴隷人口は400万人に達していた。

このように、多くの黒人奴隷がイギリスやフランスなどにより北アメリカへ強制的に連れて行かれた上に、独立後も奴隷制度のもと、黒人をはじめとする有色人種への差別的待遇が、
白人により合法的に行われていた。その後1865年に終結した南北戦争以降に、
連邦議会が奴隷制度廃止や公民権の付与、黒人男性への参政権の付与を中心とした3つの憲法修正条項(アメリカ合衆国憲法修正第13条・14条・15条)を追加したことで、黒人奴隷の解放が表向きは実現したことになっていた。

しかし、1883年の公民権裁判での最高裁の判断は、アメリカ合衆国で生まれた(または帰化した)すべての者に公民権を与えるとした修正第14条は私人による差別には当てはまらないとし、
個人や民間企業によって公民権を脅かされた人々を保護しなかった。
この判決は、1875年に制定され、公共施設での黒人への人種差別を禁止した公民権法のほとんどを、実質的に無効化した。さらに1890年にルイジアナ州は、黒人と白人で鉄道車両を分離する人種差別法案を可決した。これに対してルイジアナ州ニューオーリンズの反人種差別団体がプレッシー対ファーガソン裁判と呼ばれることになる裁判を起こしたものの、1896年5月18日に合衆国最高裁判所は、分離すれど平等の主義のもと、公共施設での黒人分離は人種差別に当たらないとする、事実上人種差別を容認する判決を下した。


このプレッシー対ファーガソン裁判の判決を元に、20世紀初頭には、南北戦争にやぶれるまで奴隷制度を合法としていた、ジョージア州やアラバマ州、ミシシッピ州などの南部諸州で、
白人による黒人の人種分離が合法的に進められた。さらにこの判決を受けて、
南部諸州のみならず国内の全州で、有色人種に対する差別が、
1964年の公民権法制定までのあいだ、大手をふってまかり通ることとなった。

これらの人種分離法は一般にジム・クロウ法と呼ばれ、アパルトヘイト政策下の南アフリカにおけるのと同様、交通機関や水飲み場、トイレ、学校や図書館などの公共機関、
さらにホテルやレストラン、バーやスケート場などにおいても、白人が有色人種すべてを分離することを合法とするものだった。

さらに「ジム・クロウ法」の下では、黒人と白人の結婚を事実上違法とする州法の存在が認められたほか、教育の機会が与えられなかったことから識字率の低い黒人の投票権を事実上制限したり、住宅を制限することも合法とされてきた。
これらの州においては、クー・クラックス・クラン(KKK)などの白人至上主義団体による黒人に対するリンチや、黒人の営む商店や店舗、住居への放火、
さらにこれらの白人至上主義団体と同じような志向を持つ警察による不当逮捕や裁判所などによる冤罪判決などが多発した。




1909年2月12日に、社会学者のW・E・B・デュボイスとアイダ・B・ウェルズらの黒人と白人有志によって設立されたアフリカ系アメリカ人委員会を前身とし、1910年5月にモアフィールド・ストーリを会長に発足した全米黒人地位向上協会(NAACP)は、設立以降これらの深刻な人種差別に立ち向かった。

黒人のみならず白人の活動家もメンバーに迎えたNAACPによる活動は、次第にアメリカ全土にその裾野を広げて行ったものの、短期間のうちには人種差別法を掲げていた南部諸州のみならず、アメリカ国民の多数を占めていた白人の間に深く根付いた黒人やインディアン民族、
アジア系などの有色人種に対する人種差別意識、そして人種差別法を改めることはできなかった。しかしNAACPは、その後も地道かつ堅実な運動を通じて、
アメリカにおける人種差別解消に対する戦いを続けて行くこととなる。



1917年よりアメリカも参戦した第一次世界大戦では、陸軍では黒人のみで編成された黒人部隊が編成れ、海軍でも多くの黒人兵士が軍隊内の差別の中で下級兵士として参戦し、
アメリカとその同盟国の勝利に大きく貢献した。
その一方で、1930年8月にトーマス・シップとエイブラム・スミスのリンチ殺人事件が新聞報道されたことをきっかけに、ユダヤ人教師エイベル・ミーアポル(ペンネームのルイス・アレン名義で有名)は事件をモチーフに奇妙な果実を作詞作曲し、ビリー・ホリデイの代表的なレパートリーとしてリンチ殺人事件が世に知られることになった。

その後アメリカが自由で平等な民主主義の橋頭保を自称して1941年12月より参戦した第二次世界大戦においても、黒人兵士が戦線で戦う場合は黒人部隊としての参戦しかできなかった上に、海軍航空隊および海兵隊航空隊から黒人は排除されていた。さらに黒人が佐官以上の階級に任命されることは殆どなかった。ある陸軍の将官が黒んぼを通常の軍務に就かせたとたんに、
全体のレベルが大幅に低下すると公言したように、アメリカ軍内には制度的差別だけでなく、
根拠のない差別的感情も蔓延してた。

その上に、第二次世界大戦におけるアメリカの同盟国で、連合国の1国であったものの、白豪主義と呼ばれるように伝統的に白人至上主義傾向が根強いオーストラリアは、当初アメリカ軍の黒人兵の自国への上陸を拒否するなど、黒人兵はアメリカ軍内のみならず一部の人種差別的な同盟国からも差別的な待遇を受けることとなった。この様な状況下にあったものの、第二次世界大戦にアメリカが参戦する直前の1941年8月は、アフリカ系アメリカ人最初の将官として、
ベンジャミン・デービス・シニア陸軍准将が任命されたほか、
多数の黒人兵が第二次世界大戦に参戦し、ヨーロッパ戦線を中心にドイツやイタリアなどの枢軸国軍との戦闘で多数の犠牲を出し、連合国軍の勝利に大きな貢献をした。

大戦後期には、陸軍航空隊で黒人の戦闘機パイロットを中心とした332部隊が登場し、ドイツ空軍との戦いの中でウェンデル・O・プリューイット大尉やロスコー・C・ブラウン大尉、
チャールズ・マクギー大尉やリー・アチャー中尉など、複数のエース・パイロットを生むなど大活躍した。さらに第二次世界大戦終結後には、
日本やドイツ、イタリアなどの占領任務にも多くの黒人兵士が参加した。



1948年7月28日には、ハリー・トルーマン大統領によってようやく軍隊内での人種隔離を禁止するよう命ぜられたものの、その後の1950年に勃発した朝鮮戦争においても、黒人士官や黒人と白人の混合部隊の実現はなかった。この様に多くの黒人の将兵が、
アメリカが参戦した戦争で大きな働きを行い、自国の勝利に貢献したにもかかわらず、
アメリカ国内における深刻な人種差別や南部諸州における黒人差別を目的とした人種差別法は、
1950年代になっても全く改められる気配はなかった。

この様な状況下で、1955年12月1日にアラバマ州モンゴメリーで、黒人女性のローザ・パークスが公営バスの白人専用及び優先座席に座ったことに対して、白人の運転手のジェイムズ・ブレイクが白人客に席を譲るよう命じたが、パークスがこれを拒否したため、
人種分離法違反で警察官に逮捕され投獄、
後にモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される事件が起きた。

この事件に抗議して、マーティン・ルーサー・キング牧師らがモンゴメリー市民に対して、1年にわたるバス・ボイコットを呼びかける運動を展開した。この呼びかけに対して、
黒人のみならず運動の意義に共感する他の有色人種、さらには白人までもがボイコットに参加し、後にこの運動はモンゴメリー・バス・ボイコットと呼ばれることとなる。

この運動は全米に大きな反響を呼び、1956年には、合衆国最高裁判所がバス車内における人種分離(白人専用及び優先座席)を違憲とする判決を出すと、アラバマ州をはじめとする南部諸州各地で黒人の反人種差別運動が盛り上がりを見せた。これらの反人種差別運動は、
アメリカにおいてこれまで人種分離法の下で人種分離、および人種差別を受け続けていた黒人をはじめとする有色人種が、アメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、公民権運動と呼ばれるようになったのです。

ここまででも、かなり、悲惨で惨めで屈辱的な扱いをされていた黒人社会がわかりますよね。
このあとも、まだまだ差別は繰り返しされていきます。次の章では黒人社会に光と希望を与えた指導者達に焦点を絞って進めていきます。


運動においてはキング牧師らを中心とした黒人の聖職者が著名な指導者となったが、
数多くの組織やアメリカインディアンや日系アメリカ人などの他の有色人種や白人を含む個人が参加して行われたもので、運動の形態も、訴訟や街頭でのデモから、
人種別の席などを設けている施設に対するボイコット、さらに「シット・イン」と呼ばれた、
レストランの白人専用席での座り込みに至るまで多岐に渡った。

1960年に始まった「シット・イン」は、その後15都市で5万人が参加する大規模なものとなり、その後、このような非暴力的手段による抗議活動に賛同した一般市民による、
有色人種の入場を拒否していたり、人種別の出入り口や人種別の席などを設けている図書館やスケート場、プールや海水浴場など対する同様の座り込みやボイコットが広く行われるようになった。

「シット・イン」をはじめとする、人種差別とそれを正当化する人種分離法への抗議活動の多くは、上記のように非暴力的な手段を用いて行われたものの、これに対して多くの州における警察当局は治安維持を理由にデモ隊を過酷に弾圧するなどしたため、
これに反発した黒人らによる大規模な暴動に発展することもしばしばであった。

しかし、これらの非暴力的な運動に対する弾圧や暴動は内外のマスコミで大きく報じられ、アメリカにおける人種差別の酷さと、それに非暴力的手段を用いることで抵抗の意思を示し、事態を改善しようとする黒人たちの姿を浮かび上がらせた。

ローザ・パークス逮捕事件とモンゴメリー・バス・ボイコットに先立つ1954年には、
公立学校における人種隔離を違憲としたブラウン対教育委員会裁判判決が最高裁において下され、これ以降、全米の学校において長年行われていた人種隔離が廃止されていくこととなった。

しかし、人種差別的な風潮が色濃く残る南部や中西部の各州においては、州政府により人種隔離への対応はまちまちであった。

1957年には、ブラウン対教育委員会裁判判決以降も白人しか入学させていなかった、アーカンソー州立リトルロック・セントラル高校への9人の黒人学生の入学を、再選のための白人票稼ぎを目論んだ白人至上主義者のオーヴァル・フォーバス州知事が拒否し、白人過激派による襲撃事件が起きるという情報があるので学校を閉鎖するという理由をつけて州兵を召集し学校を閉鎖し、黒人学生の入学を妨害するという事件が起きたリトルロック高校事件である。



公民権運動が全米規模で盛り上がりを見せる中に発生したこの事件に対して、反人種差別運動家だけでなく、白人が多くを占めるアメリカ国内の世論、そして連邦政府も反発を見せた。

ドワイト・D・アイゼンハワー大統領はフォーバス州知事に事態の収拾を図るよう命令したが、
この命令が無視されたため、急遽アイゼンハワー大統領はアメリカ陸軍の第101空挺師団を派遣し、入学する黒人学生を護衛させた。その後9人の黒人学生は無事に入学したが、
白人学生からの執拗ないじめに遭うことになった。しかし8人の学生が卒業を果たした。

これらの1950年代から1960年代にかけて起こった人種差別を元にした事件と、それに対する世論の反発は公民権運動家を力づけ、公民権運動はキング牧師らの呼びかけに応じて、人種差別や人種隔離の撤廃を求める20万人以上の参加者を集めた1963年のワシントンD.C.におけるワシントン大行進で最高潮に達た。

このワシントン大行進には、キング牧師やその理念に賛同するアメリカ国内の各団体のみならず、
シドニー・ポワチエやマーロン・ブランド、ハリー・ベラフォンテやチャールトン・ヘストン、ジョセフィン・ベーカーやボブ・ディランなどの世界的スターも数多く参加するなど、アメリカ国内のみならず世界各国からの注目を浴た。この時、キング牧師がワシントン記念塔広場で行った「I Have a Dream」の演説は、アメリカの歴史に残るものとして有名であるだけでなく、世界各国における人種差別解消運動に大きな影響を与えた。



1960年に発足したジョン・F・ケネディ政権は公民権運動には比較的リベラルな対応を見せ、南部諸州の人種隔離法(一般にジム・クロウ法と総称される)を禁止する法案を次々に成立させた。しかしケネディ大統領は1963年11月にダラスで凶弾に倒れてしまい、リンドン・ジョンソン副大統領がその後を継ぐこととなった。

ジョンソン大統領は南部のテキサス州を地盤に持つ保守派として知られたものの、大統領就任以前から人種差別に対して否定的であり、公民権運動に強い理解を示し公民権法の制定に積極的であった。実際にジョンソンは1963年11月に大統領に就任すると、議会への影響力を最大限に働かせ、公民権法の成立に向けてキング牧師などの公民権運動の指導者らと協議を重ねる傍ら、保守(人種差別主義という意味での)議員の反対に対して粘り強く議会懐柔策を進めたていたんですね。この様な普通の白人も沢山いたのが現実です。

その結果、世論の高まりもあり議会も全面的に公民権法の制定に向け動き、1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定され、ここに長年アメリカで続いてきた法の上での人種差別は終わりを告げることになったのは完全に表向きな話であります。まだ、悲惨な状況は繰り返しあります。
後半は表向きや法律的には廃止になった黒人の奴隷制度や人種差別の裏の状況と繰り返しされている。差別に立ち向かった黒人社会に焦点を当てて進めていきたいと思います。



公民権運動に対する多大な貢献が評価され、アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動を理由に、キング牧師に対し1964年度のノーベル平和賞が授与されることになった(受賞は12月10日)。これは史上最年少の受賞であり、黒人としては3人目の受賞である。
キング牧師は受賞は全てのアフリカ系アメリカ人のものだとコメントした。

その後ジョンソン政権下では積極的に政府が後押しすることで黒人の社会的、経済的地位を向上させるために、役所や企業、大学に黒人を優先的に(もしくは白人と同数)採用することを義務付けるアファーマティブ・アクション政策が取られた。1965年からアメリカが本格参入したベトナム戦争では、アメリカの軍隊史上初めて黒人部隊が編成されず、黒人が士官として配属され、
白人の下級兵士に対して指揮を執ることとなった。

しかし、アメリカ国内における白人による有色人種への人種差別感情はその後も収まらず、公民権法制定後の1965年3月5日には、アラバマ州セルマで血の日曜日事件と呼ばれる白人警官による黒人を中心とした公民権運動家への流血事件が発生した上、人種差別感情が強い南部を中心に、クー・クラックス・クランなどの白人至上主義団体による黒人に対するリンチや暴行、黒人の営む商店や店舗、住居への放火なども継続的に起きていた。

一方、黒人による反人種差別運動の一部勢力は、公民権法制定以降もなくならない人種差別への悲観と、1968年4月4日のキング牧師の暗殺による指導者の不在、そしてベトナム戦争下で混乱する国内情勢の影響を受けて、非暴力主義を貫いたキング牧師が代表する平和的・合法的な反差別運動から、暴力などの非合法的な手段を用いることを否定しない過激な運動は、1965年に暗殺されたマルコムXの影響が強いとされ変化していく。

キング牧師の暗殺直後には、全米125の都市でいっせいに暴動が発生した。
そのような状況下で、トリニダード・トバゴ生まれのストークリー・カーマイケル率いる急進派の学生非暴力調整委員会(SNCC)や、冷戦下においてアメリカと思想的に敵対していた共産主義の影響を受け、都市部のゲットーにおける自衛闘争の開始を主張したブラックパンサー党、黒人による独立国の樹立を目指した新アフリカ共和国(Republic of New Africa)といった過激派の政党が現れ闘争を継続したが、このような過激な手法、主張が継続的な支持を受けることはなく、1970年代中頃になって運動は沈静化した。


ここまでが、公民権運動 (American Civil Rights Movement)の実態と性質です。
このあとも、まだ、根深く繰り返す人種的な差別問題はあります。

最後は、現在までの差別問題に視点を向けて進めていきましょう。

公民権法の制定から45年以上が経ち、アファーマティブ・アクション政策の導入によって、有色人種に対する社会進出の阻害が是正され、経済界や法曹界のリーダー的存在につくアフリカ系アメリカ人をはじめとする有色人種が増加したほか、ポリティカル・コレクトネスの浸透による反人種差別の啓蒙が進んだ。

さらに1984年アメリカ合衆国大統領選挙と1988年アメリカ合衆国大統領選挙では、ジェシー・ジャクソンが民主党の大統領候補の指名を得るための予備選挙に立候補し、1984年の選挙時にはウォルター・モンデールとゲーリー・ハートに次ぐ3位の得票数を得た他、1989年にはアフリカ系アメリカ人(ジャマイカからの移民の子孫)のコリン・パウエルがジョージ・H・W・ブッシュ政権下でアメリカ軍のトップである統合参謀本部議長に就任し、その後2001年にジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権下で国務長官に就任した。さらに同じくアフリカ系の血を引いた(父親がケニア人)バラク・オバマが白人の対立候補に大きな差をつけて2009年1月に大統領に就任するなど、公民権法施行以前に比べて表面的な状況の改善は大きいとされていますが、現在でも、
全米各地で人種差別感情を元にした、白人による黒人をはじめとする有色人種に対する暴力事件や冤罪事件、人種差別的な扱いは数多く起こっており、1990年代に至ってもロドニー・キング事件のようなヘイトクライム事件が起きている他、クー・クラックス・クランなどの白人至上主義団体が南部を中心に各地で活動を続けている。

また、2008年に行われた大統領選挙においては、アフリカ系の血を引いたオバマに対して人種差別的発言を行う白人政治家やマスコミ関係者が相次いだほか、それ以外の場でも白人政治家や宗教家、文化人などによる有色人種への人種差別発言が後を絶たないなど、いまだにアメリカ国内において、アフリカ系アメリカ人をはじめとする有色人種に対する人種差別や人種差別的感情は根強く残っている。

この様な状況に対して、NAACPなどの反人種差別団体は人種差別の解消に向けて戦い続けることを余儀なくされているが、公民権法の施行により法的側面からの人種差別撤廃を前進させた事は、アメリカにおける人種差別撤廃において大きな進歩をもたらしたと国内外から高い評価を受けています。

2013年5月2日木曜日

映画 ポケットいっぱいの涙 (Menace II Society)

90年代、誰もが涙した名作!!
L.A.で巻き起こるギャングたちの抗争の果てに、若者たちが辿り着くものは・・・・

誰も撮らなかった現代アメリカ社会の最も重たいテーマ。

荒廃したイメージでたびたび米メディアに露出していたLAのサウス・セントラル地区を舞台に、
抗争や死という日常を生きる周囲の友人達に巻き込まれてゆく主人公の葛藤を描く。

暴力とドラッグに支配される街に暮らすひとりの黒人青年の目を通して、
現代アメリカ社会が抱える病巣を鋭く活写した異色の青春映画ですね。


監督は撮影当時、弱冠20歳のアレン&アルバート・ヒューズ兄弟です。
PV出身ならではのビジュアルセンスと、黒人コミュニティの現実を直視する冷徹な視点、
それと、ブライアン・デ・パルマらの影響を受けたであろう、ショッキングな暴力描写が最高!!

流れる音楽はQDIIIで、出演もしているMCエイト等によるヒップホップが全編を彩る。
出演はタイリン・ターナー、ウィル・スミス夫人としても知られるジェイダ・ピンケットら。
「パルプ・フィクション」のサミュエル・L・ジャクソンがケインの父親役で助演して下ります。

60年代にロセンゼルスのワッツ地区で起きた大暴動から30年が過ぎていました。
そこから、この映画が始まります。

ケインは友人のオー・ドッグとビールを買いに食料品店に行くが、
アジア系の店主に侮辱されたことに腹を立てたオー・ドッグは店主とその妻をアッという間に射殺してしまい、店内の防犯ビデオと金を奪って逃走します。

ケインは幼い時、母はヘロインの過剰摂取で亡くなり、
父もまた麻薬取引のいざこざで殺されたため、
祖父母に育てられたが、10代になると早くも麻薬を売って身を立てていた。
彼が師と仰いできた近所の麻薬ディーラー、バーネルは現在、刑務所に服役中だ。
幼いケインに初めて酒を飲ませ、銃を握らせたのが、バーネルだった。

ある晩、ケインが従兄弟のハロルドの車に同乗していると、敵対するストリートギャングに襲われた。ハロルドは撃ち殺され、ケインも重傷を負う。
自宅療養中のケインを訪れたオー・ドッグは、ハロルドの敵討ちを提案。ケインとオー・ドッグ、
友人のエイ・ワックスの3人はハロルドを殺した男を捜し出し、射殺する。

ケインは、初めて人を殺した衝撃に身を震わせる。
彼は、食料品店での殺人の様子を繰り返しビデオで見ては興奮し、
自慢しているオー・ドッグの無神経さに嫌悪する。
自分の将来に不安を覚えるケインにとって唯一の救いは、
バーネルの恋人ロニーと、6歳になる息子のアンソニーだった。

ケインは親子を守るためなら、どんな犠牲も厭わなかった。
ケインはいつしかロニーと結ばれ、親子と街を出ていくことを決意する。
だが、その矢先に・・・


冒頭シーンである韓国系アメリカ人への酒屋での残虐な暴力描写が良くも悪くも有名であり、たびたび批判される要因ともなっている。しかしひたすらリアリズムに徹したアメリカ都市部の暴力シーンや、観る者にあえて負の部分を曝け出すことによって何らかの力強いメッセージ性を送っているという点でもの凄く僕は評価しています。この映画のリアルさはハンパでは無いですね。

暴力・危険・荒廃などのイメージで以前からたびたびメディアに露出していたロサンゼルスのサウス・セントラル地区がこの映画の舞台であり、アフリカ系アメリカ人コミュニティーの特殊な環境を強烈に写し出しているのが、もうひとつの魅力ですね。

正直言って、内容はもの凄くいいですが、映画が終わってから、暫く考えさせられる非情に重たい気持ちになるのも事実です。それは、現代でもある、人種差別の状況も良く伝わる映画ですね。



2013年4月28日日曜日

Miguel / Kaleidoscope Dream (2012)

本年度のグラミー賞でBest R&B Songを受賞した期待の新人 R&Bシンガー!!
昨年、秋に発売のKaleidoscope Dreamを紹介します。
 

1.Adorn
ベースが最高に太いミッド系の楽曲です。
ヴォーカルはたっぷり濡れていて、他の音との絶妙なバランスがタマラナイですね。
キーボードとシンセが味噌ですね。この質感こそがMiguelの最大の魅力だと思います。
楽曲の構成は非常に単調ですがそこもまたCool!!ですね。

2.Don't Look Back
最初のサビはポップスの要素も微妙に取り入れながら楽曲が進行していきます。
Aメロになるとソウル色が攻め寄ってきますね。
しかしこの一環されたヴォーカルプロダクションと質感、強烈の一言ですよね。
それぞれの音の空間処理が異なっていて不思議な空間を創り上げてます。
この曲は最後に仕掛けがあって、そこがまた面白いですね。

3.Use Me
この楽曲は、ジャンルを超越しつつありますね。
インディーロックが好きな人も違和感なく聴けると思いますよ。
サウンドカオス感がハンパなく、ヤバい印象だけが強く残る楽曲ですね。
中盤の歌い込むパートが凄く高揚感があっていいですね。

4.Do You...
この楽曲は、かなりSOUL寄りですね。冒頭の乾いたギターがそう感じさせてくれていますね。
ヴォーカルはどっぷり濡れてますね。濡れ具合が強烈ですね。
対照的なサウンドの間にシンセが入ってきて、そうしてる間にギターまで程良く空間が出来て、
そうしたらうちに爆音ベースが入り乱れる不思議な楽曲ですね。
非常に面白いセオリー無視のサウンドメイキングが驚きのオリジナリティー満載ですね。

5.Kaleidoscope Dream
重苦しくファンキーなベースにファルセットがカッコいい楽曲ですね。
サビが壮大に展開していきますね。サイケデリックですね。
またオーソドックスなリズムパターンに戻る時も夢から覚めるような感覚。
中毒製の高い楽曲ですね。

6.The Thrill
Miguel独特のメロディーも程良くあり、心地よい楽曲ですね。
サウンドはサビでのストリングスや終始リズムを刻んでいるギターが印象的。
リズムパターンも裏に外してくる感じがタマラナイですね。

7.How Many Drinks?
このキーボードの質感そこにMiguelのファルセットが最高冴える楽曲ですね。
ファンク感も感じる楽曲は、俺の大好物ですね。
ラップっぽいパートもあり、バリエーションに富んだ楽曲です。

8.Where's The Fun In Forever
こちらの楽曲はAlicia Keysが参加しています。楽曲も一緒に書いているみたいです。
表立って歌っている訳ではなくコーラス程度ですが最高ですね。彼女の歌声は凄いですね。
ベースラインやコーラスのメロディーなど要所でAlicia Keysらしさは感じる楽曲ですよね。

9.Arch & Point
こちらも前の曲と続くように始まります。冒頭のあえぎ声がなんともセクシーですね。
ゆったりと楽曲は展開しながらもギターが刻むリズムがロックっぽさも感じさせますね。

10.Pussy Is Mine
この曲も前と続くように、いやまた最高ですね。
このアルバムの中で一番ヴォーカルの空間が狭いですね。
ギターのワンフレーズとたっぷり濡れたキーボードが少々不思議な世界を聴かせてくれますね。

11.Candles In The Sun
このラストの楽曲は、キーボードのループが軸となり、そこに淡々としたベース、
リムショットとハイハット、そこに埋もれるようにMiguelのヴォーカル、
完全にバンド系の楽曲ですね。

それにしてもこのアルバムは奥が深いですね。現在の最も新しいR&B Musicですね。
今後、時代が経っても色あせない名盤として認知されそうですね。
色々な意味合いで、重要な名盤だと俺は感じています。

2013年4月10日水曜日

Tyga / Hotel California (2013)

前作、Careless World: Rise of the Last Kingの大ヒットから1年弱での3枚目のリリースです。
前作がかなり良いアルバムだっただけに今回も非常に期待値が高いですが、どうでしょうね?
客演は相変わらず豪華ですので聴き応えはありそうですね。
少し気がかりなのは、2Pacのラップが入った楽曲は権利上の問題で2Pacのパートは削除された模様でね。


1.500 Degrees Feat. Lil Wayne
1曲目からLil Wayneが参加した楽曲です。
クールなサウス特有のサウンドと緊張感でスタートします。
メロディーや、構成で聴かせる曲ではなく、
淡々とラップしていくスタイルで聴かせてくれています。

2.Dope Feat. Rick Ross
この楽曲にはRick Rossが参加しています。
こちらも極力メロディーは排除したコンシャスな楽曲ですね。
やはり一筋縄ではいかないアルバムですね・・・

3.Get Loose
こちらの楽曲も1,2曲目と同様の曲。
ここ最近ここまでシンプルなトラックの曲を聴いていなかったので逆に新鮮ですね。
ここでひとまず一つの流れは終了って感じです。

4.Diss Song
かすれたギターがなんとも言えない味を出してます。インドとか中近東の匂いも少しします。
後半にはスクラッチ等も入ってHipHop感が高まります。
これから先の展開に期待膨らむ楽曲です。

5.Hit'em Up Feat. Jadakiss
こちらが本来なら2Pacのラップが差し込まれる予定だった楽曲です。
シンプルなピアノの単音のループが耳に残るトラックです。冒頭の流れにここで戻るって感じです。
2Pacのラップが削除されたのが残念ですね。

6.Molly Feat. Cedric Gervais, Wiz Khalifa & Mally Mall
Wiz Khalifaが参加した楽曲。Wizに合わせたかのようなちょいと煙いトラックです。
スクリューや、リフレインなど仕掛けが盛り沢山で聴き応えありで楽しめる楽曲ですね。

7.Fuck for the Road Feat. Chris Brown
ここ最近のメロウな楽曲の中でも群を抜いて素晴らしい曲。
循環系のコードが非常に心地よく、ビーツもゆったりしていて本当に心地いいです。
そこにChris Brownのフックは鬼に金棒です。この1曲にやられたって人も多そうですね。

8.Show You Feat. Future
こちらもメロウな楽曲。さらにはFutureの独特な野太い歌声に癒されます。
オリエンタルな匂いのするトラックが更に良し!! うれしい収穫です。

9.It Never Rains Feat. Game
トークボックス炸裂のウェッサイソング!! この曲も破壊力あります!!!
これから暖かくなる季節のドライブにぴったりです。ここまで振り切った楽曲があるのもうれしいですね。乾いたトラックにGameのラップが最強に映えます!! 気持ち良くカッコいい楽曲です。

10.M.O.E. Feat. Wiz Khalifa
スクリューから通常再生へ・・・全体的にまったりしていて、最高です。
Wiz Khalifaとの相性抜群です。フック以外でなっているキーボードの支え方が好きです。

11.Hijack Feat. 2 Chainz
ここからサウスゾーンですかね。かなり強力な圧が掛かった楽曲。2 Chainzにお似合いです。

12.Get Rich
オーケストラヒット的なサウンドとサウスビーツとシンセベースとウワもののトラック。
基本シンプルなトラック構成です。

13.Enemies
4曲目と同様のトラックです。このアルバム2度3度聴いて行くと何か見えてくるかもしれない。
アルバムのコンセプトもちょいと異質ですし。とにかくこの曲は最高ですね。

14.Drive Fast, Live Young
エレキとピアノ、濡れた楽曲です。意外とTygaはメロウな楽曲との相性が良いようです。
終盤に来てこの曲、しっくりきます。

15.Palm Trees
本編ラストの楽曲。最後は気持ち良く仕上げてくれました。程よいBPMでベースラインが心地よく、
ウワものもふわふわしています。女性ヴォーカルのサンプリングもGOODです。

今回のアルバムは、中盤から後半にかけては非常に素晴らしい楽曲が揃ったアルバムです。
もちろんサウスが好きであれば序盤の展開に痺れると思いますが。

チェックした方が良いアルバムです。
前作と合わせてもう一回聴いてみたら、もっと良さが理解できると思いますよ。
 

2013年4月5日金曜日

Frank Ocean / channel ORANGE (2012)

今回は、俺の現在の一番の愛聴盤となっている、
Frank Oceanの公式デビューアルバムを紹介します。

2012年7月10日に発売された、channel ORANGEです。全米チャートでは2位まで上昇しました。
アルバムは、ゴールド認定されています。

先ず、簡単にFrank Oceanを紹介しときます。
ルイジアナ州ニューオーリンズ出身です。

1987年10月28日生まれ、本名は、Christopher Breauxです。
彼自身は敬虔なクリスチャンです。
2010年に、タイラー・ザ・クリエイター率いるアーティスト集団OFWGKTAに加入し注目を集めます。

2011年には、ミックステープ『Nostalgia, Ultra』をリリースし、その退廃的な独特の世界観を持った楽は、各方面から非常に高い評価を受け絶賛されています。

2012年には、公式デビューアルバムChannel Orangeがリリースされ、初週に13万枚近くを売り上げ、Billboard 200にて初登場2位を記録しています。

2012年7月4日に自身がゲイであることを告白して衝撃が走りましたね。
2013年にはグラミー賞にて、ベスト・アーバン・コンテンポラリー・アルバムとベスト・ラップ・サング・コラボレーションを受賞したのも記憶に新しいところですね。
それでは、アルバムを紹介していきましょう。
 
1.Start
先ず、46秒のイントロで幕開けです。良く聴いてみると初代プレステの起動音が使われています。
やはりゲーム世代のやる事が面白いと思わず納得してしまいました。

2.Thinkin Bout You
この楽曲は完全に新しいR&Bですね。軽めのビーツ。フックのファルセット、DUBの影響と要素が注入された最高に気持ち良い楽曲ですね。
どちらかと言うと常に時代の先端にあるインディーロックを好きな人がこのんで聴きそうな感じだけど・・・僕は、ふわふわした音楽が非常に好きなのでタマラナイです。意識の中に自然と入り込んでくる音と声、自分の精神とリンクして呼吸をするだけで心地よくなれます。

3.Fertilizer
イントロダクションです。

4.Sierra Leone
展開が凄いですね。最初はシンプルなんですけど、どんどん音が入ってきます。
アコギ→キーボード→ヴォーカルアレンジ→リヴァース音→ストリングス
ほんと色々な音が次から次に出てきます。特にストリングスが印象的ですね。
ヴォーカルパートも独創的で結構色々なことやってます。
色々な事をやってる割りには2分30秒で終わるので驚きですね。
と言うよりいたずらに終わらせてる感が強いですが、そこがアーティスティックで僕は大好きです。

5.Sweet Life
彼の作品は起承転結が素晴らしいですね。この楽曲も最初は押さえておりますが、どんどん盛り上がります。
フックは完全にSOULですね。Musiq Soulchildが歌ってもおかしくないくらい。
微妙なレイドバック加減が心地よくてたまりませんね。
ここら辺が彼の凄い所で、ジャンルを超越した素晴らしさを体験できる1曲ですよ。

6.Not Just Money
こちらもインタールードです。

7.Super Rich Kids Feat.Earl Sweatshirt
こちらも独創的な1曲ですね。冒頭から聴こえるリズムに気を取られますが、
メロディーやウワものはいたって普通ですね。
そこらへんのコントラストが良いんでしょうね。
初夏の朝に聴きたくなるような楽曲ですね。うっすら聞こえるホーンセクションが良いですね。
メロディーも緩やかで、フックのReal LoveはMary J. Bligeの名曲のReal Loveを引用していますね。

8.Pilot Jones
この楽曲は、リヴァース系のシンセが特徴的な1曲ですね。
優しい彼の歌声とファルセット、かなり静かな印象の楽曲ですが奥の深い感じがしますね。

9.Crack Rock
この楽曲は究極ですね。ヴィンテージなオルガンにピアノの組み合わせが天才的です。
オルガンの空間とピアノの空間が違うのでそこがまたいいですね。
バンドでやったらより味が出てカッコ良さそうですが、最後は突然終了します。

10.Pyramids
9曲目に続くようにして始まります。このアルバムの特徴としてリヴァース系の音色が使われております。使われる回数は多くないですが、普段聴いてるアルバムにはほぼ皆無なので印象的です。
それにしてもこの曲はサイケデリックですね。
色々な展開が凄いですね。2曲が1曲になったような感じですが、
そこがまた彼の手腕で上手い事聴き手を飽きさせないようにしてるって感じです。

11.Lost
後半はどことなくロックぽいアプローチが多そうな予感のする楽曲ですね。
その中でも色々なサウンドがあって楽しいです。 踊りたくなるようなリズムが良いですね。

12.White Feat.John Mayer
この楽曲は、約1分の短い楽曲ですが、最高です。
ギターにはJohn Mayerが参加しています。
キーボードとギター、大人の楽曲です。

13.Monks
こちらもファンキーな楽曲ですね。またまた文句なしに最高の一言に尽きますね。
ベース、ドラムがアルバムの中では一番アグレッシブに躍動する1曲です。
Ryan Leslieを感じさせる所もいいですね。

14.Bad Religion
オルガン・ピアノで始まりストリングスが入ってきて、ロック的アプローチが多くて聴いていて楽しいです。どことなくLenny Kravitzも後ろに見えるような気がしますね。

15.Pink Matter Feat. Andre 3000
Andre 3000(アンドレ・3000)が参加した楽曲です。どうやらギターも弾いてるみたいです。
印象的なヘタウマなリフが良いですね。 もっとパンチが効いてるのかと思いきや・・・
物凄くゆったりとした楽曲です。Andre 3000もいい味出してますね。

16.Forrest Gump
やはり終盤はロックテイストで攻めてきましたね。トラックもシンプルで聴きやすいです。

17.End / Golden Girl Feat. Tyler, The Creator
この楽曲で終了。3分44秒からGolden Girlがスタート。
この曲もいいんですよね。やはり彼はメロディーを書く天才ですね。良いメロディーラインを書きますね。Tyler, The Creator強烈に参加して最後に華を添えていますね。

彼は唯一無二と言うよりも色々なサウンドを上手く吸収して自分の物にしている、
更にはジャンルにとらわれない大きな器が一番の魅力。

サウンドも今時使用されているものではなく、
己が表現しようとしている事を上手く描けるような音色を使っているのが印象的ですね。

各紙で物凄い高い評価を受けるのも納得。音楽好きが好きそうなアルバムですね。
このアルバムを作ったのがR&B系のアーティストってのも一つの魅力である事に間違いはないですね。ともかく今年の最大に高評価のアルバムになるであろう作品。
皆様もチェックしてみてくださいね。

2013年4月1日月曜日

Edward Gein

今回からスタートしました。Serial Killerの紹介コーナーです。
第1回目の今回は、Edward Geinです。


大傑作ホラー映画で有名な悪魔のいけにえの殺人狂のモデルになった、Serial Killerです。
アメリカの中北部、ウィスコンシン州の中央に位置する広大な平原の真ん中に、プレインフィールドという人口600人の小さな町があります。「何もない平原」というその名の通り、
本当になんにもないところであります。
視界に映るのはどこまでも続くライ麦畑のみ。住民の娯楽は鹿狩りと、
1杯のビールぐらいしかなかった町で、全米が震えあがる事件が起きます。


1954年12月8日、この町で酒場を営むメアリー・ホーガンという体格のいい中年女性が行方不明になった。シーモア・レスターという農夫が一杯やろうと店に入ると、中には誰もいなかった。

カウンターの中を覗いて仰天した。床が血だまりになっていたのである。
通報を受けたハロルド・シンプソン保安官は、床に転がる32口径ライフルの薬莢と、
引きずられた血の痕を発見した。誰かがホーガンを射殺し、その遺体を持ち去ったらしい。

しかし、何のために? 現場には争った形跡はないし、レジも手つかずのままだ。
動機がまったく掴めなかったらしいです。事件から1ケ月が経過しても事態は進展しなかったんですよ。

3年後の1957年11月16日、今度は金物屋を営むバーニス・ウォーデンが行方不明になった。
先のメアリー・ホーガンと同じような背格好のおばさんで、
26年前に夫に先立たれてからは店を1人で切り盛りしていた。

その日は鹿狩りの解禁日で、男たちはみな森に出掛けていた。町は閑散としていたが、
ウォーデン夫人だけは店を開き、1人で店番をしていた。
息子のフランクが帰って来たのは日が暮れた頃だ。
店は明かりが灯っているにも拘わらず鍵がかかっている。

不審に思って合鍵で中に入ると、まずレジがなくなっていることに気づいた。
そして、床が血だまりになっている。フランクは慌てて保安官に通報した。

新任の保安官アート・シュレーが駆けつけた時には、フランクは下手人の見当をつけていた。
男たちがみな鹿狩りに出掛けた午前8時30分頃、エド・ゲインがウォーデンの店に現れた。

ウォーデン夫人は顔をしかめた。最近、この男から頻繁に色目を使われ、
デートに誘われていたのである。

しかし、客は客だと自分に云い聞かせ、いつものように愛想よく応対した。
ゲインは不凍液を注文して代金を支払い、隅の棚から22口径のライフルを手に取り、
品定めをするふりをしながら弾を込めると、夫人の頭に狙いを定めて引き金を引いた。
即死だった。次にゲインを目撃したのはエルモ・ウエックである。

彼はゲインの所有地で鹿を仕留めたところで、彼が運転するフォードのセダンにはち合わせた。
ゲインは愛想よく手を振り、そのまま走り去っていった。

午後になって、近所に住むボブ・ヒルと妹のダーリーンが「車のバッテリーが切れたので、
町まで車に乗せてくれないか」とゲインに頼みに来た。

奥から現れたゲインの両手は血まみれだった。
シカをさばいていたと、ゲインはそう云ってニヤニヤと笑ったが、兄妹は不審に思った。
彼は常日頃から「けものをさばくのはきらいだよと云っていたからだ。

だからこそ彼は鹿狩りに出掛けないのである。しかし、まあ当人がそう云うんだからそうなのだろうと、血を拭ったゲインに町まで送ってもらった。そして、御礼としてゲインを夕食に招いた。
ゲインがヒル家の夕食に舌鼓を打っていた頃、シュレー保安官はフランクと共にゲインの家へと向った。家の中は真っ暗で誰もいない。2人は裏手に建て増しされた台所に踏み込んで、
懐中電灯をかざした。天井から何かがぶら下がっていた。

Yの字型のそれは、逆さ吊りされた人間だった。
陰部から胸部に至るまでが縦一文字に切り裂かれて、
はらわたをすべて抜かれている。首も切断されていた。

フランクは、その異形の物体が変わり果てた母の姿であることを悟るや泣き叫んだ。
新任の保安官は外に飛び出し、雪上に胃の内容物をぶちまけた。

ゲインの家を捜索した警察は、恐怖を通り越して、笑うほかなかった。ベテランの捜査官でも、
ここまで凄まじい光景は未だかつて見たことがなかった。

まず、その不潔さに驚かされた。部屋の中には汚れたままの食器や腐りかけた残飯、空き缶や空き瓶、その他さまざまな汚物が所狭しと散らばっていた。
食器類の中には不思議な形のものがあった。

よくよく見れば、それは人間の頭蓋骨の上半分を切り取って加工したものだった。
棚を見上げればズラリと頭蓋骨が並んでいる。ベッドの柱も頭蓋骨で飾られていた。

椅子の肌触りも変だった。思った通り、人間の皮だった。この他にもランプシェードやゴミ箱、太鼓、
ハンティングナイフの鞘が人間の皮で出来ていた。ベルトは女性の乳首で飾られ、
ブラインドの紐にも唇がついていた。人喰い人種が作るという「干し首」も9つ見つかった。

どれも髪の毛は生前のままである、中には化粧を施されているものもある。
その1つが3年前に失踪したメアリー・ホーガンのものだった。

バーニス・ウォーデンの切断された頭部も発見された。両耳には紐が通されており、
壁飾りとして吊せるように加工されていた。
彼女の新鮮な心臓はオーブンの上の鍋の中で調理されるのを待っていた。

古ぼけた靴箱の中には9つの女性器コレクションがあった。ほとんどが乾いて縮んでいたが、
1つだけは銀色に塗られ、紅いリボンで飾られていた。もう1つはとれとれの新鮮なやつで、
保存用に塩がまぶされていた。鼻だけが詰まった箱もあった。

人肌マスクも9つも見つかった。それは丁寧に人体から剥がされたものだった。
極め付きは人肌チョッキである。おっぱいがちゃんとついており、着ると女性に変身できるという優れものだ。ゲインはおそらく、これを着て、マスクをつけて、女になったつもりで自慰に耽っていたのではないだろうか? いずれにしても、人間の所業とは思えない。悪魔の仕業である。
一方で、整然とした部屋もあった。

それはゲインの母親の部屋であった。10年前に死んだ時からそのままの状態で保存され、誰も入れないように封印されていたのである。
ゲインが殺害した女性は二人とも母親に似たところがあった。

太っていて威圧的な中年女性。ゲインは何度も何度も繰り替えして母親を殺していたのではないか。彼は母親も、母親の思い出も心から愛していなかったに違いない。

母の部屋を生前のままに保存して封印していたのは、愛情だけではなく畏怖の念も感じられる。
とにかく、母親の呪縛から逃れることが出来なかったことがゲインの最大の悲劇だと思いますね。
彼は母親を「剥製」にはしていない。それはあくまでも噂である。

加えてネクロフィリアとカニバニズムの噂も当人は否定しているが、これについては本当のところは判らない。ゲインは医師団に「回復の見込みのないほどに精神を病んでいる」として責任無能力者と診断され、州立の精神病院に収監された。
この措置に身内の墓を暴かれたプレインフィールドの住民たちは猛反対た。
やがて、ゲインの土地は競売にかけられ、売上げがゲインのものになると知るや、
ゲインの家を焼き払った。プレインフィールド唯一の観光名所は消え失せた。

現在でも人口800人程度のこの町では、いまだにゲインの話題はタブーだという。
焼却を免れたゲインのフォード車は競り落とされて見世物になった。

運転席にはゲインの蝋人形、バックシートには切り刻まれた血みどろの女の死体が置かれていたというから悪趣味の極みだ。抗議の電話が殺到し、数日のうちに展示を禁止されたという。

1984年7月26日、ゲインはメンドータ精神病院で呼吸不全のために死亡した。77歳だった。
遺体はプレインフィールドの母の隣に埋葬され、町の唯一の観光スポットになっているらしいです。

エド・ゲインはおそらく映画史に最も影響を与えた人物だと思います。

彼がいなければ『サイコ』も『悪魔のいけにえ』も『羊たちの沈黙』も作られることはなかったのでは無いでしょうか。
彼は現代アメリカの悪夢を象徴する存在であり、その無垢だが邪悪な魂は今日も生き続けています。