2014年5月22日木曜日

Dynamic Five / Love Is The Key (1978)

Sweet Soul 名盤で尚且つ、入手が大変難しいと言われて下ります。
Dynamic Fiveの唯一のアルバムを今回は紹介致します。

Love Is The Keyは1978年リリースで、現在も数十万円で取引されている盤です。
全10曲収録と当時では、普通の収録曲数ですが、全曲一切の駄曲無しの素晴らしい作品です。

 
Dynamic Five / Love Is The Key (1978)
Label / Manhattan Records United Artists Records(UAS)

A1 Lovers Lullabye
A2 Skyboat
A3 To Get To Heaven
A4 It's So Lonely
A5 One Way Or The Other

B1 So Much Love To Give
B2 You Got To Get Up
B3 Beautiful Lady
B4 Supreme Being
B5 Love Is The Key

 

2014年5月14日水曜日

THE LIVE BAND / A CHANCE FOR HOPE (1982)

今から、20年以上前に、僕が、CLUBでDJをしていた頃に、お気に入りで、
毎回、廻していた、お皿です。

当時から、中々、レア度が高くて、内容が最高なのにお目に掛かれない盤では有名でした。

現在も、原盤レコードは、かなりの高額で取引されているのは事実の話です。

名作と謳われながら、未だ謎に包まれた名作、名グループというのは数多く存在します。
その筆頭が、今回、紹介する、THE LIVE BANDのA CHANCE FOR HOPE TSOBです。

ブラックミュージックの好事家のバイブル的な本で有名な『U.S.ブラック・ディスク・ガイド』にも紹介され、話題になることが多いのですが、メンバー、プロデューサーがまったくの無名です。

その後の活動もまったく不明という、謎だらけのグループによる唯一の盤で、大傑作なんです。
こういった謎を探ってゆく、想像してゆくのがブラックミュージックを愛聴してる。

僕の楽しみ方のひとつであったりするのですが、このアルバムは特に、
その想いを強く感じさせてくれます。

発売レーベルはTSOB (THE SOUND OF BROOKYLN) RECORDSになります。
1982年のニューヨークといえば、PRELUDEを筆頭にN.Y.サウンドが全盛期だったと記憶しています。当然ですが、このアルバムもN.Y.サウンドに影響を受けつつ、
ヴォーカル・インストゥルメンタル・グループ的サウンドでアップ、ミディアム、
スロウまで充実した内容を聴かせてくれて下ります。

マイナーながらクオリティの高いサウンド、しっかりとした演奏力、
熱いヴォーカルを繰り広げてくれるこのようなグループが、その後のグループ、メンバーの動向が一切不明というのも不気味な話だと思いませんか?
それもブラックミュージックの奥深い世界なのでしょうね。


1. A Chance For Hope (Prelude)
2. A Chance For Hope (Vocal)
3. Oh, How I Love You
4. We Are Live
5. Strut Your Stuff
6. Living Your Life
7. Serious Situation
8. A Chance For Hope (Reprise)

2014年5月3日土曜日

Jack Johnson

彼の作り出す音楽は、潮の香りと、大地の雄大さと、
暖かい太陽の様な素敵なオーガニック ミュージック!!
Jack Johnson 1975年5月18日、アメリカ合衆国 ハワイ州オアフ島生まれ。



アコースティック・ギターの心地よいグルーヴでリラックスした空気感のサウンドが特徴。
それまでハードコア・パンクが主体であったサーフ・ミュージック・シーンに新風を起こし、
今やミュージシャンやサーファー界など多方面から高い評価を受ける、
サーフ・シーンの第一人者として認知されている。

サーファー、映画監督、実業家、プロデューサーの顔を持つなど、ミュージシャン以外にも多様な才能を発揮して、全世界のサーファーには超有名人です。

Jack Johnsonは、少年期をハワイの海とサーフィンの中に過ごし、
既に高校生の頃にはプロ・サーファー契約を交わすまでになってい程のサーフィンの才能が開花していました。17歳の時、サーフィン中に大怪我を負う事故を経験したのを契機に、それまでは趣味のひとつであった音楽や映像といった創作分野に傾倒していく事になります。

その数年後に、University of California, Santa Barbaraで映像を専攻します。
そして、卒業後に、親友でトップ・プロ・サーファーのケリー・スレイター達のサーフィン仲間を被写体に撮ったサーフ・フィルム『シッカー・ザン・ウォーター』『セプテンバー・セッションズ』を製作。

リアル・サーフ・スタイルと高い評価を受けたその作品の中でも、特に評判だったのが、
ジャックが自作した劇中のBGMであった。

ジャックと共に映像製作をしていたカメラマンのスコット・ソーエンズなる人物の紹介でジャックと知り合ったG・ラヴは、彼の音楽的才能に着目し、自身のアルバム『フィラデルフォニック』にジャック製作の楽曲「ロデオ・クラウンズ」を収録するなど、ミュージシャンとしてのジャックの存在が注目されるようになります。

この「ロデオ・クラウンズ」はベン・ハーパーのマネージャーの耳に留まり、
ベンの経営するインディ・レーベルからCDデビューする運びとなった。

2001年に発表した1stアルバム『ブラッシュファイアー・フェアリーテイルズ』はインディーズでのリリースながら口コミで評判が広がり、翌年にはメジャーのユニバーサル・レコードより再リリースされ、全米でミリオン・セールスの大ヒットを記録します。

2003年にはビースティ・ボーイズなどを手がけたマリオ・カルダートJr.をプロデューサーに迎え、
ハワイでレコーディングされたセカンド・アルバム『オン・アンド・オン』を自身が立ち上げたレーベル
「ブラッシュファイアー・レコーズ」から発表。初登場で全米3位にチャートイン。

同年9月には朝霧ジャム出演で初来日し、同時に行った単独公演は即完売の盛況ぶりで、
すでに日本においても高い人気を獲得していた。

同じくサーファーでミュージシャンであるドノヴァン・フランケンレイターのデビュー作をプロデュースし、ブラッシュファイアー・レコーズにG・ラヴを迎え入れ、
また環境団体「コクア・ハワイ・ファウンデーション」を設立するなど、
多方面でマルチな才能を発揮するようになる。

さらに、フジロック・フェスティバル04には「フィールド・オブ・ヘヴン」のトリで出演し、
ベン・ハーパー、ドノヴァン・フランケンレイターをゲストで招いて共演していました。

2005年に発表した3rdアルバム『イン・ビトウィーン・ドリームス』はアメリカのみならずイギリス、
オーストラリア、カナダ、ニュージーランドといった英語圏全体でも大ヒットし(全英・全豪ともに1位)、世界的な評価を獲得しています。

およそ2年おきのペースでリリースを続けており、2006年には、絵本『ひとまねこざる (おさるのジョージ)』の映画音楽を手掛け、そのサントラである『シング・ア・ロング・アンド・ララバイズ・フォー・ザ・フィルム:キュリアス・ジョージ』を、2008年にはソーラー発電を動力にしてレコーディングした4thアルバム『スリープ・スルー・ザ・スタティック』、2010年の5作目『トゥ・ザ・シー』まで、すべてにおいて全米1位及び英豪チャートでも首位を獲得するなど軒並み好成績を記録する人気ミュージシャンです。

興味が沸いたら、迷わず購入を薦めます。
本当に最高の音楽がRecordから聴こえてきます。
元プロサーファーの極上オーガニックミュージック!!

2014年4月27日日曜日

アルカトラズ刑務所

アルカトラズ島は、アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンフランシスコ湾内、サンフランシスコ市から2.4kmのところに浮かぶ、面積0.076km²の小島であります。
昔は灯台、軍事要塞、軍事監獄、そして1963年まで連邦刑務所として使用されて下りました。

別名ザ・ロック、監獄島とも呼ばれています。1972年、国立レクリエーション地域となり、
1976年及び1986年にランドマークの指定を受けて下ります。

1775年、スペイン人のフアン・デ・アヤラがこの島を発見し、サンフランシスコ湾の海図を作るときにこの島に "La Isla de los Alcatraces" と名づけた。スペイン語で「ペリカンの島」という意味です。

これがやがて英語風に短縮されて "Alcatraz" となったと言われて下ります。
メキシコによるカリフォルニア統治時代の終わりころ、メキシコ政府から、ジュリアン・ワークマンという帰化メキシコ人に、島に灯台を建設する条件で島の所有名義が譲渡された記録があります。

米墨戦争(1846年 - 1848年)中にアメリカがカリフォルニアの支配権を得ると、ジョン・C・フレモントが、「カリフォルニア総督」としての資格でこの無人島を購入した。しかし、1850年、ミラード・フィルモア米大統領の命により、メキシコ政府の所有物はアメリカ政府に承継されたとの根拠に基づき、島は軍事目的のために取り上げられた。このため、フレモントによる島の購入は無意味になってしまい、フレモント及びその相続人から政府に対して何度も訴訟が起こされ、
法的紛争は1890年代まで続いたらしいです。

1848年、シエラネバダ山脈の麓で金が発見されてゴールドラッシュが始まり、サンフランシスコは多くの船が寄港する重要な地となり、灯台が至急必要になった。

1850年の連邦議会予算に、アルカトラズ島を含む太平洋岸の八つの灯台建設が盛り込まれた。1852年に、島で最初の恒久的建造物となる灯台ができた。1853年には、ゼラス・B・タワー中尉が、アルカトラズ島をサンフランシスコ湾の守りとするための要塞化工事に着手した。

南北戦争(1861年 - 1865年)の直前までに、86門の大砲が島を巡らすように設置された。
南北戦争中は、アルカトラズ島は南部連合のサンフランシスコ湾への侵入を防ぐ役割を果たしました。南北戦争が終わると、島に設置された旧式の大砲は時代遅れになってしまったため、
徐々に撤去された。それに代わって、防弾壁が島を取り囲むように建てられた。
内部には弾薬庫などが設けられていました。


南北戦争の前後から、島は監獄としての役割も果たすようになります。
地下の留置場に、島内や周囲の砦から送られた脱走兵、窃盗犯、酔っ払いなどが収容され、
1861年、アルカトラズ島は太平洋省の軍事刑務所として正式に指定されました。

南北戦争中には、反逆罪で捕らえられた南部連合派のカリフォルニア市民もここに収監された。
収容者は増加し、1863年ころロウアー・プリズン (Lower Prison) と呼ばれる刑務所棟が建てられ、
19世紀末ころまで平均100人を収容して下りました。アメリカの西部開発に伴って、
アメリカ政府とアメリカン・インディアンとの紛争が多発し、反乱罪などでアルカトラズ島に送られたアメリカン・インディアンも多かったと聞いた事がありますね。

米西戦争(1898年)の時は、フィリピンへの遠征で熱帯病に罹患した帰還兵がアルカトラズ島の病院に収容されたり、身柄を拘束された兵士が多数収監されたりした。新たな刑務所棟が必要となり、1900年、閲兵場にアッパー・プリズン (Upper Prison) が建設されました。

ロウアー・プリズンは囚人の運動場となったが、1902年の火事でロウアー・プリズンは危うく焼けるところであったらしいです。1906年、サンフランシスコ地震で街が壊滅し、市内の刑務所に火災の危険が迫ると、そこにいた一般の受刑者176人が急遽アルカトラズ島に移された。

このころから島は本格的な刑務所へ転換することとなり、今までの歩兵に代わり軍看守が配置され、1907年には島は「アルカトラズ島・合衆国軍事刑務所太平洋支所」との指定を受けました。

砦は取り壊され、1912年に3階建ての大型監房棟が島中央にでき、合計600の監房、厨房、食堂、
病院、運動場、管理事務所などを備えた大刑務所となります。発電所も建設されて下ります。

1915年、島は「合衆国矯正兵舎太平洋支所」と改名され、教育と更生に力点が置かれるようになります。受刑者は、軍事訓練、矯正教育、職業補導などを受けた上、刑期満了後は、
多くは軍務に復帰しました。

処遇は開放的で、夜間は監房に収容されるが、昼間は各自の仕事、授業、レクリエーションで時間を過ごし、規律違反の場合は独房に収監されたり鎖につながれたりした様です。

しかし、立地上、島内への水と食糧の供給にコストがかかったため、1930年代初頭の大恐慌もあって、軍は1933年、アルカトラズ島の刑務所を閉鎖することとなってしまいます。
その後は、かの有名な連邦刑務所としての時代に突入していきます。
 
 
島は軍から連邦司法省刑務所局に移管され、刑務所局は1934年7月1日、
アルカトラズ連邦刑務所を開設しました。
大恐慌や禁酒法により1920年代末から1930年代にかけて組織犯罪が激化し、
治安当局は、犯罪に対する強い姿勢を打ち出す必要があり、アルカトラズ島はそのために
「社会の敵」である凶悪犯を収容する施設という役割を担って下りました。

1934年4月から、脱走対策を万全にするため、軍事刑務所の設備に手が加えられた格子は柔らかい素材から、道具を使っても破壊できないものに取り替えられ、受刑者が逃げ隠れできる可能性のあるトンネル等はすべてセメントで埋められた。監房を取り巻くように、看守が武器を持って監視できるガン・ギャラリーが、受刑者の手が届かないよう高いところに設けられます。
ガン・ギャラリーは鉄柵で保護され、すべての鍵はその中で管理されていた。
 
食堂の天井には催涙ガスの噴射装置が取り付けられ、ガン・ギャラリー又は外部の監視場所から
の遠隔操作で噴射できるようになっていたいきます。全部で600近くの監房があったが、
どの監房も建物の外壁とは接しないようになっていたいるのが最大の特徴ですね。
 
 
この刑務所に収容されていた人員は、常時およそ260人から275人であり、連邦刑務所全体の収容人員から見れば1%にも満たなかったみたいです。受刑者にとっては、
必ず1人につき一つの監房が与えられることなど、ここの収容環境は他の連邦刑務所と比べて悪くなかったため、信じられない話ですが、
アルカトラズ刑務所への移送を希望する受刑者が多数いました。

アルカトラズ島に服役した受刑者の中には、有名な者も多いですね。
ロバート・フランクリン・ストラウドは、殺人罪でカンザス州レブンワースの刑務所に服役中に看守を殺して死刑判決を受けた後、嘆願により1920年終身刑に減刑され、1942年アルカトラズ連邦刑務所に移送され、1959年他所へ移送されるまでの17年間をここで過ごしました。

レブンワース刑務所でカナリアを飼ってその病気について研究し、本も書いていたことから「バードマン」(鳥人間)というあだ名で知られたが、同刑務所で、研究の名目で手に入れた道具を酒の密造に使おうとしていたことが発覚するなどしてカナリアの飼育が禁止され、アルカトラズ時代には鳥を飼ってはいなかったらしいです。

著名なギャングの大ボス、アル・カポネやジョージ・“マシンガン”・ケリーなどもここに収容されてい下りましたのは有名な事実ですよね。そのほか、他の刑務所で規則を遵守しない者、
暴力的行為を行った者、
脱走の危険があると考えられた者などがここに送られた来たのも有名な話ですね。

刑務所の中では、食糧、衣服、居住、医療の四つは権利として与えられていたが、
それ以外のもの仕事、面会、図書室の利用、レクリエーションなどはすべて「特典」であって、
努力によって獲得するものとされて下りました。本当に厳しい環境の刑務所ですね。

その過酷な環境に耐え切れず、信じられないような事件が幾度もおきます。
連邦刑務所時代には、14回の脱獄事件が起き、それに関与した受刑者は36人である(うち2人は2回脱走を試みた者)。このうち23人は身柄を確保され、6人は射殺され、2人は溺死した。
 
5人は行方不明であるが、溺死したものと推測されている。1946年3月に起きた脱獄事件は「アルカトラズの戦闘」として知られる。6人の受刑者が看守を襲って武器と監房の鍵を手に入れたが、運動場への鍵を見付けることができず脱出に失敗し、当局との銃撃戦の末、2日後に制圧された。
 
6人のうち3人は死体で発見され、残り3人は裁判にかけられてうち2人はガス室に送られた。
 
この事件で看守も2人が死亡し、約18人が負傷した。1962年6月11日、フランク・モリスとアングリン兄弟が監房から消えるという有名な脱獄事件が発生した。手製のドリルで通気孔が広げられており、夜の見回り時に気付かれないよう、ベッドには作り物の人間の頭が置かれていた。壁の後ろのパイプなどを伝って建物から脱出し、島の北東部から泳ぎ出したと見られているが、
現在も島外にたどり着いたかは不明であります。

1963年3月21日、財政的理由により連邦刑務所は閉鎖されてしまいます。
修繕・維持費用だけで300万ドルから500万ドルかかったとされ、それに加え日々の運営費用も他の連邦刑務所と比べ可なりの高額であった(1959年当時、1人当たりのコストはアトランタ刑務所で3.00ドルであったのに対しアルカトラズでは10.10ドルに上った)。これは、食糧や水の輸送供給に費用がかかったためであると言われて下りますが、真実はわかりません。
 

絶対に脱獄不可能と思われていた、アルカトラズ刑務所からの脱獄に成功した、
囚人の行方は未だ謎です。

憶測では、冷たい海の温度と速い流れに耐え切れず、溺れ死んだと言われて下りますが、死体を未確認ですので、本当の事は現在でも闇の中です。タイプ少し違うのですが、
この刑務所をモデルケースに全米各地で、厳しく過酷な状況にさらされる、
刑務所が多数誕生したのですが、アルカトラズ刑務所を超える刑務所は無いとおもいます。

IQ200のアル・カポネ(アルフォンス・ガブリエル・カポネ)すら脱獄を諦めて刑期を努めたと聞いたことが、あります。まさに、地獄の連邦刑務所がアルカトラズ刑務所だったんですね。
 
 

2014年4月19日土曜日

Henry Lee Lucas

Serial Killer 連続殺人犯の紹介のコーナーです。第5回目の今回ですが、
ご紹介するSerial Killerも大変、興味深い奴ですよ。Henry Lee Lucasの登場です!!

全米17州で300人以上を殺害していると言われる。
著名なシリアルキラーの1人であり、
トマス・ハリスの作品に登場する連続殺人者、
ハンニバル・レクター(羊たちの沈黙)のモデルの1人です。


ヘンリー・リー・ルーカスは1936年8月23日、アメリカバージニア州ブラックスバーグに生まれた。
母親のヴィオラはアイルランド系インディアンの女で、売春婦をしていた。

父親のアンダーソンは、酒に酔って列車に轢かれ、両足を失った貧弱な元鉄道員であった。
ヘンリーは11番目の子供であり、ヴィオラは女児が生まれてくることを期待していた(娘が生まれれば、母娘で売春が出来ると考えていたため)。

だがヘンリーが男児であったことに失望する。
ヴィオラは息子を「ヘンリエッタ」と名付けて女装をさせたり、意味も無く殴りつけたり、
自身の客を家に呼んでヘンリーの前で性交し、それを見るように強要するなど、
執拗に虐待を繰り返していた。

ヴィオラはしばしば「お前は死ぬまで私の奴隷」「あんたは悪魔から生まれた生き物なのだから、
当然あんたは悪魔なのだ。腐ったろくでなしとして生きてもらう」
「あんたはこの世に地獄をもたらすために生まれてきた」と、ヘンリーを罵倒した。

ヴィオラ以外の人物にヘンリーが優しく接せられると、ヴィオラは激しく怒り、
ヘンリーに優しくした本人を口汚く罵った。小学校の高学年になったとき、
ヘンリーはラバを飼いたがってた。

ヴィオラが珍しくラバの子供を買ってきてヘンリーに与えたことがあった。
ヘンリーは喜び、寝食も共にするほど気に入り、ラバもヘンリーに懐いた。

ヴィオラがヘンリーに、ラバが気に入ったかどうかを尋ね、ヘンリーが気に入った旨を告げると、
そのラバを射殺した。おふくろは、俺が何かを愛するという感情を抱くことに我慢ならなかった,
「おふくろは完全な狂人だった」と告白しており、
ヴィオラが人格的に異常であったことは明らかであった。

ヘンリーは10歳で酒の味を覚えたが、それは父親の影響であった。
父親もまたヴィオラから罵倒されたり虐待されていた。そればかりか、
アンダーソンは彼女から虐待されるのが好きであった。

ヘンリーは後に、「本当の親父だったかどうかも分からない」「汚らわしいマゾだった」などと語っている。14歳ではじめての殺人(17歳の少女をレイプして絞殺)を犯した。

最初の殺人は、ヘンリーにとって最悪のものであった。
母による激しい虐待と、女性に対する彼の意識が彼を大きく歪ませ、
女性とセックスに対して激しい憎悪を抱くようになった。

23歳まで出所と服役を繰り返すが、同年に義姉の元で恋に落ちた。
ヘンリーは彼女と生きていくことを決め、まともに働こうとした。

だが、母親がヘンリーの元に現れ、口汚く罵ったことで恋人は彼の元を立ち去り、
ヘンリーは再び独りになった。


ヴィオラの悪罵に耐えかねた彼は、母の喉を自らナイフで切り裂いて殺害した。
彼は逮捕され、第二級謀殺罪により40年の刑を宣告された。

しかし、彼自身は「おふくろが本当に死んだ」とは思ってはいなかった。
長年ヴィオラに虐待されたことで、ヘンリーの精神は骨の髄まで母の支配下にあった。

刑務所の中でも、ヴィオラの声が何度となく響き、ヘンリーに自殺を強要してくる幻聴に苛まれた。これによりヘンリーは乖離症状を繰り返し、精神分裂病と診断された。

ヘンリーは自身を診察した医師に対して、「セックスの際に相手を殺さなければ絶頂に達することができない」という証言をしている。

ヘンリーは仮釈放を望まなかった。
だが、囚人一人に掛かる年間の費用が多額であったことと、当時のベトナム戦争が泥沼化していたことで、国の財政が逼迫していたことから、司法当局は「更生の見込みのある犯罪者には、
可能な限り社会復帰のチャンスを与える」という名目で、早期釈放を推進していた。

収監されてから10年後、ヘンリーは仮釈放されることになった。
獄中で電気技師の資格を取得したことや、大学レベルの教育プログラムを無事修了したことなどが評価されたためであった。

仮釈放委員会で「釈放されたら、自分は必ず人を殺す」と明言していたにもかかわらず、
彼は釈放された。仮釈放審査の面談で委員のひとりから、「君は釈放されたら本当に人を殺しますか?」と尋ねられたヘンリーは、「はい。私は釈放されたら間違いなく人を殺します」と言ったが、
委員たちはこれをジョークと受け取った。

そしてヘンリーは、自らの予言通りに、
刑務所を出て数ブロックのところで女性を絞殺し、金品を強奪した。

釈放後の1979年、ヘンリーはオーティス・トゥールという男と出会う。
オーティスは下品で野蛮な男であったが、彼と出会ってから紹介されたベッキーという少女に、
ヘンリーは強く惹かれていった。ヘンリーと行動を共にし、無条件でヘンリーを受け入れるベッキーの髪の毛をといたりするなどして、ヘンリーは彼女を愛し始めた。

彼女に対してセックスは求めず、性的衝動が高まると、別の女性を襲って殺害してからベッキーの元へ戻ってきた。だが、後にベッキーがキリスト教に目覚めたことがきっかけで2人の間に溝が生まれる。後にヘンリーはベッキーを殺害したが、そのことをひどく後悔した。

ベッキー殺害後のヘンリーは、犯行後に証拠を残すようになった。
1983年の逮捕後、ヘンリーは約3000件の殺害を自供しているが、
一般的に実際に殺害したのは360人程度と考察されている。

ただし、ヘンリーには虚言癖があったとされるためにこの数字にも根拠は無い。
ヘンリーは後にモンタギュー郡拘置所の独房の中でキリスト教に目覚め、
テキサス州ウィリアムソン郡ジョージタウン刑務所にて、それまでの罪を進んで自白するようになった。それは、彼が犯した殺人のために冤罪で逮捕される人を救うためであるというが真実は定かでない。殺人罪が確定しているのは9件で、物的証拠があるのは2件のみである。

彼の死刑は1998年に執行されるはずだったが、当時のテキサス州知事だったジョージ・W・ブッシュが、証拠不十分を理由に死刑執行を延期した。

当時ブッシュの手元には153人分の署名できる死刑執行書があったが、
ブッシュは任期中に152人の死刑を執行した死刑執行推進派であり、
まさに異例中の異例であった。



毒殺以外のありとあらゆる殺しを行ったと彼は語っている。
「ヘンリー・ルーカス連続殺人事件特別捜査班」の正式メンバーとして、
鉄格子の中から助言を行っていたが、2001年、テキサス州ウィリアムソン郡ジョージタウン刑務所内にて心臓発作で死亡。64歳没。遺体を引き取りに来た身内はいなかった。

最後にこの凶悪的精神疾患連続殺人鬼のHenry Lee Lucasが
吐き捨てた名言集です。

女は存在する必要がない。だから見つければ全て殺す。

要するに俺はいいことをしたって訳さ。殺人は息をするのと同じだった。


俺にとってセックスは最悪のものだった。俺を自然のままに受け入れてくれる奴などいなかった。


セックスしたけりゃ力ずくだ。殺すしかない。人間?それは俺にとってなんでもなかった、ただの白紙だった。


2014年4月3日木曜日

R.L. (from Next) / Important (2007 Advance CD)

今回は、NextのR.L.のソロ2nd 残念ながらお蔵入りしました。
Importantに付いてご紹介します。

Nextは3人組R&Bグループです。Butta Love、Too Close等の大ヒットを放った下ります。
そのNextでリードを取っていたのが、R.L.です。

2002年にアルバムRL:Ementsでグループからでソロ・デビューし、
2007年ごろにMusic World/Universalから本作をリリースする予定でしたが…
いまだ発売されて下りません完全にお蔵入り状態です。
全10曲収録で、MidTempo、Slow Jamが大半を占めて下ります。

Someone To LoveはNe-Yo"So Sickの様な切ないメロが印象的な仕上がりで最高です。
Bucked NakedはThe Cornaboyzがプロデュースしたノスタルジックな雰囲気です。

Used To Beは本当にしっとり美しいミッド・ナンバーに仕上がって下ります。
ShareはR&Bの世界では定番の水滴の効果音がアクセントになった下ります。
Missin' Uは少し変わったバックトラックですが、綺麗なSlow Jamです。

Girl Come Onはムージー・ダンサー系の夜のドライブのおともに最適なミッドナンバーですね。
NothingはNextの曲と錯覚する程の極上ですね。

So SorryはTim & Bobが最も得意とするような遊牧民系トラックが極上です。
Stormは最後を締めくくる雷鳴轟く究極のSlow Jamです。

全10曲と曲数は少ないですが、それを補う極上ナンバー揃いですので、
興味がある方は、是非、探して購入を薦めます。
間違いない内容です。お蔵入りが本当に残念な1枚ですね。
 
1. Someone To Love
2. Bucked Naked
3. Used To Be
4. Share
5. Missin' U
6. Girl, Come On
7. Nothing
8. Sex As Good As Mine
9. So Sorry
10. Storm (Forecass)

2014年3月21日金曜日

映画 デンジャラス・ラン

内容最上級の映画 デンジャラス・ラン(原題 Safe House)

2012年アメリカ合衆国・南アフリカ共和国合作のスパイ・サスペンス・アクション作品。
監督 ダニエル・エスピノーサ
脚本 デヴィッド・グッゲンハイム
製作 スコット・ステューバー
製作総指揮 デンゼル・ワシントン

主演 デンゼル・ワシントン、ライアン・レイノルズの2大スターの競演です。


デンゼル・ワシントンと言えば、1987年作品 遠い夜明け(Cry Freedom)で、
アカデミー助演男優賞ノミネート & ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
1989年作品 グローリー (Glory) アカデミー助演男優賞受賞、ゴールデングローブ賞 助演男優受賞
1992年作品 マルコムX (Malcolm X) ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞

アカデミー主演男優賞ノミネート & ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
1999年作品 ザ・ハリケーン (The Hurricane) ゴールデングローブ主演男優賞受賞

ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞 & アカデミー主演男優賞ノミネート
2001年作品 トレーニング デイ (Training Day) アカデミー主演男優賞受賞

ロサンゼルス映画批評家協会賞男優賞受賞 & ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート
2007年作品 アメリカン・ギャングスター (American Gangster) ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート等の物凄い経歴を誇る、アメリカを代表する、世界的に有名な名黒人俳優です。
ライアン・レイノルズは、中堅どころの期待の俳優さんですね。
この方も、映画には色々と出演されています。
簡単ですが、振り返りましょう。

1996年にテレビドラマ X-ファイルの第3シーズンにゲストとして、初めてアメリカデビューします。
ライアンはカナダ国籍の俳優さんですので、その後、2001年までTVコメディ ふたりの男とひとりの女で重要な役のバーグを演じられて、一躍人気を博したのは有名な事実ですね。

2002年には、人気コメディ ナショナルランプーン シリーズの5年ぶりの新作映画 ヴァン・ワイダー
に主演し、コメディ俳優としても活躍していましたよね。

2004年には、これが、また、凄い話ですが、体重を10キロ以上増やして筋肉をつけ、
2004年の超人気作品 ブレイド3でバンパイア・ハンターのハンニバル・キングを演じました。

以来アメリカにおける「カッコ良いカラダの男性俳優ランキング」でNo.1に投票されるなど、
肉体派俳優としての地位をも確立して、トップスターの仲間入りを果たしました。

次の映画2009年作品のウルヴァリン: X-MEN ZERO では、
剣術の達人デッドプールを演じ爆発的な大ヒットに、なりましたよね。

これもまたまた、凄いんですが、2010年には、有名誌のピープルが選ぶ“最もセクシーな男”の一人に選ばれたんですね。確かに綺麗な筋肉質の肉体を披露していますからね。
納得の選出ですよね。

それから、今回、ご紹介する、デンジャラス・ランに準主演でマット・ウェストン役を演じて下ります。

それでは、肝心の映画 デンジャラス・ランの本編に話を移していきましょうね。

CIAの凄腕諜報員でありながら、国家機密を敵国に売りさばく情報密売人として指名手配され、
天才的な頭脳を持ち話術に長け、暗殺の腕も超一流という、なんとも恐ろしい役が、
デンゼル・ワシントン演じる、トービン・フロスト元CIA工作員です。

悪に染まった伝説のCIAエージェントと 運命を共にする、あまりに危険な32時間の逃避行!

最果ての地にあるCIAの隠れ家に連行されてきた超大物犯罪者。
完璧に秘匿された隠れ家のはずだったが、彼の収容と共に正体不明の敵が襲来する。

隠れ家の管理人である新米CIAのマットは一筋縄ではいかない犯罪者を引きつれ必死の脱出を試みるが―今、あまりに危険な男と運命を共にする32時間の逃避行がはじまる!

襲撃された隠れ家、 世界的犯罪者を引き連れた決死の脱出!

南アフリカのケープタウン。 諜報活動の最前線から遠く離れたこの地で、CIAの新米職員マット・ウェストは、退屈な毎日を送っている。 任務は、めったに使われることのない隠れ家の管理人。

その仕事を一刻も早く卒業し、情報工作員として活躍したいと望んでいるマットだが、
自分の実力を証明するチャンスはなかなかめぐってきそうになかった。

そんなある日、思いがけなく隠れ家に大物犯罪者が護送されてくる。
男の名はトビン・フロスト。 CIA史上最高と謳われた元エリート諜報員だが、
10年前に国家を裏切り、悪に染まった。

今では、国家機密を密売する危険人物として世界36カ国から指名手配を受けている。
そんな想像を超えた伝説の人物を目の当たりにして、驚きを隠せないマット。 「いったい、何故?」
しかし本当の驚きは、フロストの尋問開始直後に訪れた。

完璧に守られていたはずの隠れ家が、武装した男たちに襲撃されたのだ。
味方が壊滅状態に陥るなか、「お前は俺を守る義務がある」というフロストの言葉にうながされ、
無我夢中で彼を隠れ家から連れ出すマット。

激しいカーチェイスのすえに敵を振り切った彼は、フロストと共にモーテルに身を潜め、
CIA本部からの指示を待った。そんな張りつめた緊張状態の中、フロストが静かに牙を剥く。

「なぜ隠れ家がバレたと思う?」人の心を操る天才と言われるフロストの言動にマットは激しく翻弄される。この様な感じの展開でストーリーは進んでいきます。

最大の見所は、伝説のCIAエージェントであるトビン・フロスト(デンゼル・ワシントン)とCIAの新米職員マット・ウェストン(ライアン・レイノルズ)の前半までの緊張感溢れる攻防戦でしょうかね。
CIAを裏切った悪人という設定のフロスト。

でも最初から彼は汚職の件を察知していて、それで自らを犠牲にして、
10年間汚職の裏を取りつつ逃げ続けて居たのがわかった瞬間に驚きで暫く沈黙してしまいます。

真実を知られては不味い立場の各国諜報組織の悪い連中が彼を犯罪者として執拗に追う回るのは、本当はフロストは誰より正義感の強い人間だった事でしょうね。

前半から中盤は、キャッチコピーのままのCIAの凄腕諜報員でありながら、国家機密を敵国に売りさばく情報密売人として指名手配される男。

天才的な頭脳を持ち話術に長け、暗殺の腕も超一流という、
トービン・フロスト元CIA工作員の印象が強いですが、
後半には別のトービン・フロストが観れます。

それが、最大のこの作品の良さですね。
是非! ご覧になって貰いたい最高の極上映画ですよ。