2014年6月22日日曜日

舞台「タンブリングFINAL」主演 演劇界に新風を巻き起こす松下優也ロングインタビュー記事

今回は、少し珍しい、R&B歌手の松下優也のYahooでのロングインタビューの前文を掲載します。
俺の家族の一押しの松下優也です。


R&Bシンガーとしてデビュー後、ミュージカル「黒執事」で注目を浴びた松下優也。最新舞台「タンブリングFINAL」では主演を務めるなど、24歳の今、演劇界に新風を巻き起こしている彼が、音楽への想い、そして演技開眼について語る。

サッカー少年から一転、歌手を目指す
――小学生の頃はサッカー少年だったそうですが、どういうきっかけで歌手を目指すことになったのでしょうか? 

僕、おばあちゃん子で、小さい頃からおばあちゃんが聴いている演歌など、歌を歌うことが好きだったんです。もちろん音楽の授業も好きでしたが、あの頃は歌手になろうとは思っていませんでしたね。その後、音楽そのものに興味を持ち始めたのは小6ぐらいのとき。それまでは世の中で流行っている、学校の友だちと同じような曲を聴いていましたが、自らの意志でダンス系や洋楽のCDを買ったり、借りたりするようになったんです。
――具体的には、どのようなアーティストを聴いていたのですか? 

日本でいうならDA PUMPさんだったり、w-inds.さんだったり、歌って踊るスタイルのアーティストさん。あと、Dragon Ash さんやRIP SLYMEさん、KICK THE CAN CREWといったヒップホップ系ですかね。でも、洋楽でいちばん聴いていたのはエミネムよりもエアロスミスなんですよ(笑)。そういったアーティストさんの曲を聴いているうちに、自分も歌手になりたいと思うようになったんです。
 
本場の音楽に触れるため、中3で単身NYへ
――それで、地元・大阪のボーカル&ダンススクールに入学されるわけですよね。

歌手を目指すにあたって、中学時代は部活に入らず、歌とダンスが習えるスクールに通い始めました。授業が終わるとスクールに直行し、レッスンを受けていました。グループを組んで、レッスンを受けたりしていたので、部活をやっている友達と何も変わりませんでしたよ。中3のときには完全に、将来は音楽でやっていこうと思っていましたね。だから、自分的には高校に進学する意味が分からなかったんです。同じ日々を繰り返すことに疑問を感じていたというか……。今となっては「今を生きる」ということは十分に理解できるんですけど、あの頃は将来のことというか、先のことばかり考えていたんですよね。

――それで、中3のときに単身でニューヨークに行かれるわけですが、なぜニューヨークだったんですか? 
とにかく本場の音楽に触れたかったんです。初めての海外で、自分の周りにいる人間がすべてアメリカ人というだけでも衝撃。今では考えられないようなカルチャーショックを受けましたね。15歳だったのでさすがにライブハウスには入れなかったんですが、ストリートミュージシャンや教会のゴスペルを見たりしました。あと、今は僕もミュージカルをやっていますが、あの頃はあまり興味がないながらも「プロデューサーズ」や「ヘアスプレー」といった話題のミュージカルは見てましたね。「ウィキッド」があまりに人気すぎてチケットが取れなかったり……(笑)。その後、毎年のように行われているので、あそこまでの衝撃はないかもしれませんけど、当時はすごかった。今でもいえることは、僕はあの街に流れている音楽、あの街でできた音楽が心底好きなんですよ。あと、親切で礼儀正しい日本人とは違った温かみを、あの街の人々には感じるんです。ちょっと関西人に似ているかもしれません。
 
R&Bシンガーと同時に役者デビューも
――帰国後、プロデューサーのJin Nakamura氏に見出され、デビューに向けて動き出しますよね?
 
帰国したときに、改めて自分が好きなものがハッキリしたんです。だから、結局高校には行きませんでした。僕の行動力だけでなく、親の協力だったり、中学からレッスンを受けているスクールの方の協力もあって、18歳のときにデビューすることが決まったんです。
――とはいえ、デビュー直後には映画『悲しいボーイフレンド』で役者としてもデビューされます。R&Bシンガーとしてデビューしながら、演技することに戸惑いはなかったのでしょうか? 
『悲しいボーイフレンド』はデビュー前にお話をいただいて、撮影したんです。そのときは、正直「え、演技?」と思いましたけれど、さすがにイヤと言えませんし、エンディングが自分の曲とはいえ、初めての演技が映画で、キスシーンまであって……(笑)。あの頃は「自分がこうありたい」という意志が先行し過ぎていて、他のものも試してみるという柔軟性みたいなものがなかったかもしれませんね。でも、そういう段階を重ねてきたからこそ、今の芝居好きな自分があるといえるんですよね。
 
キャリアの転機となったミュージカル「黒執事」
――それは当たり役となった「黒執事」で初挑戦したミュージカルにもいえることですよね?
 
そのときは、もちろん「え、ミュージカル?」でしたよ(笑)。ニューヨークで見た2本と「アニー」ぐらいしか見てなかったですし。しかも、まったくR&Bとは違う世界観じゃないですか!? さらに、大人気の原作ということもあり、ミュージカル化する際、決していい意見ばかりではなかったんですね。演じるのが、初ミュージカルの僕ですからね……。あの頃は、いろんなことに戸惑いながらも、目の前にあることをがむしゃらにやるしかなかった。でも、いざフタを開けてみると、いろいろ意見はありましたが、意外といい評価が多かったんです。そのことが自分を後押ししてくれたのは事実です。でも、初演の時点では芝居の楽しさにはまだ気付いていなかったですね。
――主人公のセバスチャンはこれまでに3度演じていますが、振り返ってみると「黒執事」とはどんな作品だといえますか? 
 
もはや、セバスチャン=俺って感じです。別に、ほかの人に演じてもらいたくないという意味じゃないですよ(笑)。明らかに自分を変えてくれた作品ですし、自分の芝居の根の部分を作ってくれた作品であり、役だと思うんです。悪魔で執事であるという、現実からかけ離れたファンタジーなキャラ設定のなか、自分の中でどうリアリティを出して埋めていくかみたいなことを考えることが楽しかった。3度目ともなると、セバスチャンを演じるというより、自分とセバスチャンが重なる瞬間をどこかで求めていたりしましたね。確実に自分のキャリアの転機になった作品だと思いますね。

 

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