2014年5月29日木曜日

Satanism 悪魔崇拝主義

今回は、連続殺人鬼の犯人逮捕や紹介の時に度々、目にする、
Satanism
に付いて少し触れたいと、思います。
 
サタニズムとは、宗教的信条の一つの主義であります。

イデオロギー的、哲学的信条や社会的現象との関係を含みます、
悪魔主義、悪魔崇拝とも呼ばれています。


この、Satanism 悪魔崇拝主義には音楽の世界でもHeavy MetalやDeath Metal、Black Meatal等の
歌詞の中でも良く、出てくるフレーズと言葉です。

一般的にサタニズムといえば、「サタン(悪魔)」を崇拝し、悪の力をもって善なる力に打ち勝ち、
世界を支配することが想像されるが、最大のサタニズム組織である「悪魔教会 (Church of Satan)」は、この考え方を否定して下ります。悪魔教会は「サタン」が実際に存在するともしておらず、
単にある概念を物質的に代表する名称として「サタン」の名を捉えている。

サタニズムにも様々な形が存在するが、多くのサタニズムでは、
サタンとは次のいずれかに該当する。即ち、イデア・人間性のある一面、あらゆる存在の源・
あるいは宇宙を超越した何らかの力の人間界でのインターフェースであるとされて下ります。

サタンといえば、悪や理不尽な力を連想させる言葉ではあるが、
サタニズムは支持者にとってある少数派的な精神性と思想を示す言葉でもあります。

悪魔教会の創設者であるアントン・ラヴェイは、たとえそれがサタンという名の神であっても、
あらゆる神を信仰しない。同様に、悪魔の掟に従うこともない(このことは、有神論のサタニズム信仰者も存在することから、サタニズムが自己矛盾した存在であると誤解されがちである)。

よって神に仕え、天の御命に従うような(欧米では一般的な)考え方も存在せず、
サタニズムにおいては自身の物質的・身体的な発展と解決が殊更に重視されるのです。

このような理由から、サタニズム信仰者は伝統的な宗教の信仰を疎んじ(キリスト教やユダヤ教。欧米では何らかの伝統的な宗教を信仰することが当然とされる)、自己中心的な世界観を構築し、エゴイスティックであることを好むと捉えられて下ります。

それでは、Satanism 悪魔崇拝主義の根本的な宗教的思考をお話しましょう。
僕たちがよく目にするものに〝星〟のマークがありますよね。

日本で陰陽師が星を使っているように、海外でも星が魔術に使われていることをご存知でしょうか?そもそも五芒星と呼ばれる星形は古代イスラエルの王、ヘロデ大王の紋章だったらしく、
それがユダヤを象徴するマークになり、時が経つにつれ色々な形で広まっていったそうです。

現在では「ダビデの星」といえば「六芒星」ですが、「逆五芒星」でダビデの星を表すという
説もあります。正五芒星」は天とのつながりを示し、逆五芒星は地の底(地獄)との
つながりを示すと言われているのです。


この逆五芒星は、地とつながることで悪魔を降臨させ魔の力を得ることができるといいます。
だから悪魔崇拝者は、逆五芒星をシンボルマークにして崇拝しているのです。

さらに、逆五芒星は悪魔(バフォメット)と組み合わされます。
バフォメットは別名で「悪魔の山羊」の事です。


黒魔術師として有名な「アレイスター・クローリー」は、自らバフォメットと名乗っていました。
現在ではバフォメットが悪魔崇拝の象徴として広く使われています。

そんな悪魔崇拝のシンボルとされている逆五芒星が、米大統領官邸ホワイトハウスに描かれています。上から見ると見事な逆五芒星で、しかもホワイトハウスは地獄を指す位置にあるのです。
上から見たら梟(フクロウ)が描かれている米国会議事堂も、このすぐ近くにあります。


ホワイトハウスを上から見ると五芒星になります。
悪魔崇拝者が使う人差指と小指で角を作るサインがありますが、これは崇拝者間での
認識サインで、この形を作って人を指すと呪いをかけるという意味になるそうです。

俺達も、知らず知らずに良くこの、手のサインをしていますよね。

このサインの歴史は以外に浅く、1960年代に米国悪魔教会の創始者「アントン・ラヴェイ」が、
イタリアにあった魔除けのジェスチャーを、サタンの儀式の中に取り入れたことで広まったといわれています。また、1970年代~1980年代に活躍したハードロックのヴォーカリスト「ロニー・ジェイムス・ディオ」が、ステージで、このジェスチャーをやり続けたことでヘビーメタル、
ハードロックのミュージシャンの間でも広まったようです。

そうです、日常の様々な場面で、僕達も悪魔崇拝のサイン等を見たりしています。
それでは、最後は、20世紀に実在した、悪魔崇拝者のアントン・サンダー・ラヴェイを紹介します。

アントン・サンダー・ラヴェイは1932年にシカゴで生まれました。
彼は、早くからショービジネスの業界に触れ、そうした方面への才能を開花させていた。
高校生のときにサーカス団に入り、猛獣の調教師となった。

そして18歳にはカーニバル業界に入り、読心術を学んだ。彼がオカルトや催眠術に触れたのは、
この頃らしい。そして、蒸気オルガン引き、占い師、殺人現場専門の警察のカメラマンを経ながら、
20世紀の悪魔崇拝の大家としての道を進んで言った。


彼が独自の悪魔崇拝の哲学を構築し活動をはじめるのは、1950年代の頃かららしい。
最初にはっきりさせておくが、彼の崇拝する悪魔とは、世間一般で考えられている悪魔とは、
だいぶ異なる。彼の考えるサタンとは、神に謀反を起こして天から堕とされ、
セコい復讐にもえるようなケチな存在ではない。

キリスト教の神話に登場するような悪魔ではない。言ってみれば、キリスト教の神話に登場する悪魔など、教会が布教宣伝のために作り出した道化でしかない。
「みなさん、恐ろしい悪魔から身を守るためにもキリスト教を信じましょう。」「キリスト教の敵は、邪悪な悪魔にあやつられているのです。」

こんなものを信じてみたところで、釈迦の掌の上で大立ちまわりを演じている猿と同じだろう、
ということだ。彼の考える「悪魔」は、そんな存在ではない。では、それは何か?

彼は言う。人間には、新しい神が必用である。それは、教会にあるような無味乾燥な、奴隷が主人に対するような崇拝を要求する神ではない。人間とは切り離すことのできない存在、「神性」を有しながら人間の痛みを知り、人間と共に欲望や苦しみを分かち合い、
それでいて人間よりも叡智を持ち強い力を持った神。

歴史を振り返ると、科学や哲学の進歩をもたらして来た者達は、既存の権威に反逆して来た者たちではないのか? 教会や権力や一般社会に反逆した者たちではないのか?人間の心の中には秘められた自由奔放な欲望や強いパワーがある。

これを解放す者は、高みから人間を見下ろし家畜や奴隷のように人間を扱う者では断じてない。強い反逆心を持つ人類の同胞でなければならない。

では、そうした新しい神とは何ぞや?
「創世記」の時代から、畏怖の念を持って語られてきた謀反と激情の神。人類を誘惑し(=人類に快楽を教えてこれを推奨し)、神の秘密を人間に暴露して迷妄から解放してくれる存在。

そう、サタンと呼ばれるものではないのか?サタンは、人間に罪を犯して悪に服従するようなことは要求しない。彼の目的とは、神やキリストとは異なる方法での人類の救済である。

彼は、人間に自由奔放に生きることを薦め、それによってこそ真の人間理解を得ることができる、という。ラヴェイは、いわゆる「霊的」なものには、強い不信感を持っている。

彼は、儀式魔術なども「神秘めかしたたわごと」、「信心ぶったまやかし」と切って捨てる。
では、なぜ彼の教団では、黒ミサや黒魔術の呪術を行うのか?「人間には幻想が必要だからである。」それで、かのクトゥルー神話の邪神への祈り、などというものも出てくるわけである。

彼はある意味、宗教の効能を認め、それを積極的に活用する唯物論者と言うべき側面も持っているように思える。

彼の哲学は、単純な快楽主義ではない。
彼の思想は1969年に出された「悪魔聖書」に集約される。

悪魔崇拝とは宗教というより、人種学である。それはキリスト教とは正反対のものである。

すなわち、その実体は「合理主義」と「自己保存主義」であり、本来は世俗的で健全な思想である。

単にそれを「宗教」というオブラートで包んでみたものにすぎない。この健全な思想が、危険視されるのは、むしろ世間を支配しているキリスト教に代表される思想が、不健全なためである。
彼の「悪魔聖書」には、9つの声明文がある。

これを読めば、彼の大まかな価値観が理解できるのではあるまいか?


1.悪魔は節制ではなく放逸を好む。

2.悪魔は幻想ではなく実存である。

3.悪魔は偽善に満ちた自己欺瞞ではなく、優れた叡智である。

4.悪魔は敵を愛するような不合理なことをして愛を浪費しない。
  愛するに値する者のみに恩恵をもたらす。

5.悪魔は「右の頬をうたれたなら左の頬も向けよ」などと不合理な要求はしない。
  復讐を要求する。

6.悪魔は責任を負うべきものに対して責任を持つ。

7.悪魔は野獣のごとき人間である。それは、現実にいる動物よりも賢く、時には凶暴になる。
  高度に発達した精神と知性のために、恐ろしい獣となる。

8.悪魔は、いわゆる「罪」といわれるものを認める。なぜなら、それらの多くは肉体的・
  精神的な欲求を満たしてくれるものだからである。

9.悪魔はキリスト教においてさえ、人類の親友であった。
  彼は太古の昔から、ずっとそうであった

また、これに対して、ラヴェイは悪魔崇拝者が避けるべき「罪」についても言及する。


これも9つあり、愚鈍、知ったかぶり、唯我主義、自己欺瞞、集団への同調、見通しの欠如、過去の権威の忘却、非生産的な自尊心、美意識の欠如である、という。

彼の理想は、まずは快楽の肯定である。快楽主義は、どこも悪くない。欲望を無理に押え付ける節制は自然に反した不合理で偽善的な行為である。そして、平等主義のような欺瞞は捨てる。

人間を区別し、階層化させる。しかし、その方法はファシズム的な方法では成功しない。

あらゆる義務を放棄し、自由な共同体を作ることによって(例えば一夫多妻制を設けるなど)、
それは成される。そして、弱肉強食のジャングルの掟に従った社会を作る。
これによって、人間は解放され、進歩する。

こうした考え方に基き、かれは11から成る悪魔崇拝者が守るべき道徳を挙げる。
だいたい、こんな感じである。

.人から求められない限り、自分の意見を口にするな。

2.聞きたがる人以外には、自分の悩みについて話すな。

3.郷に入らば、郷に従え。さもなくば、その郷から出てゆけ。

4.あなたの郷に入って来たのに、あなたに敬意を示さない客は、遠慮なくぶちのめせ。

5.相手の同意の無いセックスをしてはいけない。

6.自分の物でもない物を奪ってはいけない。さもないと、奪われた人は悲鳴をあげ、
  助けを求める(そして、結果的にあなたが損をすることになる)。

7.呪術を行って効果があったら、素直にそれを信じること(それが科学的かどうかなど、
  どうでもよろしい、人間には幻想が必要なのだ)。

8.自分の利益と関係ないものに、文句をつけるな。

9.小さな子供を傷つけてはいけない。

10.人間以外の動物を傷つけてはいけない。ただし、食用にしたり、
   自分の身を守る等、必用な場合は許される。

11.公共の場で他人に迷惑をかけてはならない。
   また、迷惑を受けたら注意せよ、聞かないようなら、ぶちのめせ。

要するにこれは、秩序だった合理的な利己主義、快楽主義とも言える。

また、彼は「子供を傷つけるな」、「人間以外の動物を傷つけるな」とし、かの有名な「悪魔崇拝者は子供をさらって生け贄にしている」といった都市伝説や悪意に満ちた噂への対抗も忘れない。

こうなると、当然の疑問も浮かんでくる。こうした哲学を実践するのに、なんでわざわざ「悪魔」を引き合いに出すのか。もうちょっと、上品で刺戟の少ない言葉を選べば良いのではないのか?
彼は答える。

「悪魔」という名前を使えば精神が高揚する、精神が高揚すれば意欲がわき、自己鍛錬もやりやすくなる。それは、様々な目的を達成するに足る強力な言葉である。もっと簡単に言えば、
面白くて発展性があり、そのものずばりの名前だから、我々は「悪魔」という言葉を使うのだ。

 
ラヴェイは、ショービジネスの世界に身を置いただけあって、ある種の言葉なりシンボルが、
人間の心に揺さぶりをかけ、あるいは魅了し、イデオロギーの原動力となることを知っていたのではあるまいか。「悪魔」という、このインパクトのある、様々な意味や、
人間の心に大きな影響をあたえ得る言葉を使ったからこそ、
彼の哲学が成功したとも言えるのかもしれない。

彼が、こうした思想を持つに至る一つのきっかけは、警察のカメラマンとして殺人や自殺の現場、そして遺族達の姿を見たことがきっかけだったという。

遺族達は、涙を流しながらも「これも神の御心です」という。ラヴェイには、それが理解できなかった。こんな惨いことをしておいて、何が神か? 
どうして、遺族が、そんな神に感謝しなければならないのか?

彼は1950年代には、既に悪魔主義の思想を構築しつつあった。
彼はアレイスター・クロウリーにも強い共感を示し、OTO系の魔術結社に接近したこともあったが、「神との合一」を目指す彼らとは、考え方が合わなかったらしい。

彼はこのころ、オカルトに興味を示す。超常現象に興味をもち、ポルターガイストの調査なども行った。しかし、かれはここで超常現象というものは、ほとんどが誤認に基づくものだということを思い知らされる。ポルターガイストの正体は、天井裏で風に吹かれるブリキ缶だったりした。

しかし、同時にラヴェイは、人はそんな客観的真実よりも、もっと別の物を求めていることに気づく。
幽霊の正体は枯れ尾花だった、と説明するとかえって人は落胆するのだ。

そこで、彼は、自分にポルターガイストの調査を依頼してきた人々を落胆させないために、
「大丈夫、悪魔払をしておきましたから。」と答えるようにした。人間には幻想が必要なのだ。
こうして彼は、一種の魔術師として有名になる。1955年には警察を退職し、オルガン奏者をしながら、悪魔払いや呪術や占いを請け負う魔術師として活動した。

それから彼はオルガン奏者を続けながら、魔術を行い、離婚と結婚、子供の誕生を経験し、充実した毎日を過ごす。1965年には、ライオンを飼って調教し、慈善事業にも熱中した。
彼は1966年に剃髪し、この年をサタン紀元とした。こうして彼の「サタン教会」は、創立された。

彼は「黒い法王」を名乗り、自分の思想の布教を開始した。1967年には、弟子達のために、悪魔崇拝者風の結婚式を行い、マスコミの注目を集める。彼はマスコミを大いに利用した。キリスト教に対する冒涜的なパフォーマンスの黒ミサを行い、
自分の愛娘への悪魔崇拝式の洗礼式なども公開した。

おりから、当時のアメリカには、ポップカルチャーとしてのオカルトが大流行していた時期でもある。彼のこうしたパフォーマンスは、大いに受けた。そして、多くの芸能人を中心とした著名人達も、彼の思想に共感したり、あるいは単に面白がったりして、彼のサタン教会に入信した。
また、ラヴェイと友人関係を結んだ。

彼はホラー映画「ローズマリーの赤ちゃん」に悪魔役で出演したり、イーグルスのホテル・カリフォルニアのレコード・ジャケット写真に登場するなど、メディアを利用した。ショービジネスの経験のある彼らしい布教方法であろう。そして、1969年には、彼の哲学思想をまとめた、サタン教会の聖典、「悪魔聖書」を書き上げる。

他にも「悪魔儀式」や「魔女の書」などの著書もある。

1960年代の風潮は、彼に対しては、おおむね好意的であった。
そして、夥しい数の「サタン教会」の分派が現れ、60~70年代のオカルト・ブームの一翼すら担ったのでる。しかし、この流行は、必ずしも彼の望んでいたものではなかった。

不良少年達のファッションに利用されるだけならまだしも、哲学も思想も無い自堕落なだけの犯罪者たちが悪魔主義を標榜する。かのマンソンの事件のとばっちりも、彼のところへ来た。
さらに、根も葉もない悪意に満ちたデマも彼を攻撃した。

80年代を過ぎてアメリカが保守傾向になってゆくと、マスコミも彼を攻撃するようになった。
彼はサタン教会の規模を縮小させた。

こうして彼は、自分の哲学への誤解を解こうと尽力しながらも1997年に死亡しています。
 






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